【動画】永井玲衣さん、西由良さん、藤原辰史さんの対話=井手さゆり撮影

 人々がつながれる問いを探して共に考えていく、哲学者・永井玲衣さんのRe:Ron連載「問いでつながる」。連載第2回で取り上げた「戦争を想像するとは?」をさらに深めるため、若い世代が個人的な体験から沖縄についてつづるコラムプロジェクト「あなたの沖縄」を企画した西由良さん、戦争について「食」の視点から研究してきた歴史学者の藤原辰史さんと、3人で語り合いました。

Re:Ron連載「問いでつながる」第5回【対話編】

  • 【参加募集】永井さん登壇のリロンセッション 10月25日、朝日地球会議

 【永井玲衣】 「戦争を想像するってどういうこと?」について考えたい。改めてになりますが、私は全国色んな場で人々ときき合い、考え合う場をつくること、そこでききとったことを書くこともしています。最近は、写真家の八木咲さんと戦争について表現や対話を通して一緒に近づいてみるという「せんそうってプロジェクト」にも取り組んでいます。広島で対話の場をつくったり体験者の方にお話を聞いたりも。

 今回、大きな語りというよりも、こぼれ落ちそうな人々の声をひろって育てている2人と一緒に、戦争についてお話ししたいと思いました。

  • 【エッセー編】いま・ここからの想像力 哲学者・永井玲衣さんが問う「せんそう」

 【西由良】 私は沖縄出身、1994年生まれの30歳です。26歳のときに「あなたの沖縄」というコラムプロジェクトを始めました。noteを通じて、1990年代生まれによるコラムを毎週1本ずつ投稿して、雑誌(ZINE)もつくっています。

永井玲衣さんや藤原辰史さんと対話する西由良さん=2025年7月22日、東京都中央区、井手さゆり撮影

 父とか祖母とか、戦争や復帰など社会が大きく変わる出来事を経験した人たちの語りはよく聞いたり読んだりしてきたけど、自分と近い世代の人がどんなことを考えているのか。それを知りたくて始めました。

 色んな沖縄のプロジェクトがある中で、誰かの言葉を聞いて書くのではなく、自分の言葉で自分のことを書く、という形で。一つだけお願いしているのは「個人的なエピソード、思い、気持ちを書いてほしい」ということです。

西由良さんが開設した、コラムプロジェクト「あなたの沖縄」のサイト(https://note.com/your_okinawa)

 【藤原辰史】 この雑誌を読んで、嫉妬に近いものを感じました。

 自分の研究は、半分以上は戦争について。とくに第1次世界大戦と第2次世界大戦という二つの戦争を調べています。戦争の研究というととっても広くてつかみどころがない。そんななかで、日常の中の戦争を見ていきたいと思い、戦争を「食」から考えるという研究をしてきました。食べ物は本当に大事で、戦争の勝敗を分けたと私は考えています。

 歴史の語り方についてもずっと考えてきました。私は西さんとは逆のアプローチで、死んでしまった人が残したもの、文書館や公文書館、あるいは日記や個人のパーソナルな歴史、そうした1次資料から歴史を再現しています。でも、歴史書はモノローグというか自分語りになりがち。そこで、体験者から「聞く」という試みもやっています。永井さんの「対話」という形式も、こうした文脈で関心があります。

永井玲衣さんや西由良さんと対話する藤原辰史さん=2025年7月22日、東京都中央区、井手さゆり撮影

■なぜ戦争を「遠い」と語ってしまうのか?

 【永井】 私はいま悩んでいることがいっぱいあって。

 「せんそうってプロジェクト」は、ロシアのウクライナ侵攻にショックを受けて、そこから始めたんです。自分は戦争というものをあまりに知らない、もっと知りたい、もっと近づかなきゃいけない、という思いでした。

 でも、多くの人が「戦争は遠い」と言う。私も90年代生まれですが、「戦争が遠い」「当事者ではないから語るべきじゃない」といった語りをよく耳にしてきました。

 でも本当は遠くないはずで、じゃあなんでこんなに「遠い」と私たちは語ってしまうのか。戦争が遠いのならば、近いって何なのか。「戦争」という言葉を聞いたことがない人はいないし、必ず知っているはず。だったら私たちは何を見て聞いて、思ってきたのか。もっと語る場が必要じゃないか、と感じています。

 そうやって、語り直してみよう、という場を耕してきた。すると、「そういえば、おばはカラオケに行くと必ず軍歌を入れるんだ」とか、ほんとにポツリとしたすごく断片的な語りを聞けることがある。あるいは「自分はおじいさんに話を聞けなかった」と「沈黙」という語りを聞くことができる。

 一方で、「きょうだいげんかも戦争みたいなもの」といった語りもたまに出てくるんです。おそらく自分にひきつけて考えようとしているから出た言葉だとは思うんですが、それは戦争の語りというよりは自分の日常の語りではないか。よく「自分事にして考えよう」と言われますが、それはかえって、戦争というものを矮小(わいしょう)化してしまうことにならないだろうか、とも思う。

西由良さんや藤原辰史さんと対話する永井玲衣さん=2025年7月22日、東京都中央区、井手さゆり撮影

 【西】 「あなたの沖縄」の沖縄戦を特集した雑誌の中に、いまの自分と同じ年齢の頃に沖縄戦に巻き込まれた女性の証言を地域史から取り出して、戦時中に女性がたどった道を同じように歩いてみた記録を書いてくれた人がいたんです。

 彼女は、同じ道を歩く試みは、「証言者が当時抱えていた感情や切実さまで体験することはできないのだと痛感するものだった」と書いていて、本当にそうだなと思った。戦争には、体験できない「わからなさ」がある。

 私も祖母について話す機会が増えているけど、やっぱりわからないものがすごくあると思いながら話すので、自分事にしないといけないわけではないと思う。でも、全く関係ないとは思わないようにするにはどうしたらいいのか……。答えはないかもしれないけれど。

 【藤原】 西さんが「あなたの沖縄」に書いていたおばあちゃんの話で印象的なものがあった。集団自決の場で「あの世に行っても学校に元気で通いなさい」と親戚に言われて、「あの世に学校なんてない」って怒って逃げたので命拾いしたという話。その現実と、「きょうだいげんかも戦争みたい」「争いはよくない」という言葉の何が違うのか。感覚的にはわかるけど、いま2人の話を聞きながら考えています。

永井玲衣さんや西由良さんとの対話で、西さんが発行した「あなたの沖縄」のZINEを手にする藤原辰史さん=2025年7月22日、東京都中央区、井手さゆり撮影

 【永井】 ひめゆり平和祈念資料館に行ったときに、ひめゆり学徒隊の仕事として「蛆(ウジ)虫を取る」「切断した身体の部位を捨てに行く」などの項目が並んでいることに、言葉を失いました。それらは、知り得ない、近づけない、息をのむような戦争の姿で、きょうだいげんかでは起こり得ないことです。

 戦争を語ったり聞こうとしたりするときに、戦争を自分に引き寄せてしまう。でも、戦争って知り得ないからこそ、ききにいかなきゃいけない、私が出向かなきゃいけないものなのではないか、と思います。

■知らないことがどんどん増えていく?

 【藤原】 いま永井さんが言った「知り得ない」という自己認識が「きょうだいげんかだよね」という言葉に一番欠けている点かもしれません。西さんの雑誌のフィールドワークで出てきた「わからなさ」というのがやっぱりすごく正直なところだと思う。

 私もベトナム戦争の激戦地や虐殺の現場に行って生存者に話を聞いたことがあるけど、その場で色んなことを学べば学ぶほど、「知らないこと」の多さに気づいていった。西さんの雑誌を読んでいても、90年代の若者たちが次々に踏み入れては知らないことが等比級数的に広がっていく。そこがまずは大事だと思うんですけど、どうですか?

永井玲衣さん(手前中央)や藤原辰史さん(右)と対話する西由良さん=2025年7月22日、東京都中央区、井手さゆり撮影

 【西】 沖縄戦の話を読めば読むほど、知らないことがどんどん増えていく感覚はあります。わかるんだけどわからない、みたいな。

 「あなたの沖縄」もですが、書いていると、どこか「わかった」という感覚になる。でもその後にまた、わからなくなる。「あなたの沖縄」はかなり編集もしていて、その人が本当に書きたいことを探って練っていく。「わかる」と「わからない」の間を行ったり来たりするのが結構大事なのかな、と思います。

 【藤原】 雑誌のなかに別の執筆者の感想が入っていて、記事を簡単に終わらせない、まさに「対話」しているのがユニークだと思った。たぶん戦争や紛争について「わかった」という感覚はあふれている。でも、永井さんがずっと「問い」が大事だと言っているのは、簡単にわかったつもりになるなよ、ということだと思う。近づけば近づくほど遠くなっていく。わかろうとすればするほどわからなくなる。戦争は特にそうだと思います。

■戦争の「色」を知ると、わかる?

日本新聞博物館で開かれた企画写真展「よみがえる沖縄1935」。来館者の目を引いていることから、カラー化写真が拡充された=2018年5月、横浜市中区

 【永井】 わかった気になってしまうことへの恐れを、写真の自動AI色付けやVR(仮想現実)で映像の中に入れるといった試みに対して感じることがあります。下手したら「なんだこういうことか」と思ってしまうかもしれない。

 一方で、広島や長崎の写真を…

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