インタビューに答える細川護熙・元首相=2024年12月、東京都品川区

 貿易自由化が進む中で発展を遂げた日本は、ガット(関税貿易一般協定)に基づく多国間交渉ウルグアイ・ラウンド(UR)で1993年12月、コメ限定輸入に応じた。その際の外交記録を外務省が26日に公開した。当時首相だった細川護熙氏に水面下の日米交渉などについて聞いた。

 ――93年7月の衆院選で自民党が過半数を割って宮沢喜一内閣が退陣し、7党1会派の非自民連立政権が発足し、日本新党代表の細川さんが首相になります。首相在任時の日記を出版した「内訟録」によると、内閣発足の8月9日、「主要課題」の一つに「コメ輸入の部分自由化」を挙げています。

 92年に日本新党を立ち上げ、URを成功させるためコメ市場開放を掲げました。自民党の「政治とカネ」の問題で政治改革が注目されていましたが、URはそれ以上に大事だと覚悟を決めました。戦後にガットに基づく多角的自由貿易体制の中で発展した海洋国家日本として、何としてもやり遂げねばという思いでした。

 ――コメを日本市場の閉鎖性の象徴とみる米国との間で、宮沢内閣の頃から農務当局同士の極秘交渉が続いていました。「内訟録」によると、93年9月29日に京谷昭夫農水事務次官から合意の報告があり、10月15日には「連立内閣これを以(もっ)て倒るるとも我1人にても往(ゆ)かん」との日記があります。

国会は「コメは一粒たりとも入れない」

 全くこの通りです。その頃か…

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