映画「教皇選挙」から© 2024 Conclave Distribution, LLC.

 公開中の映画「教皇選挙」は、次期ローマ教皇を決める選挙で、有力な候補者たちが権謀術数を尽くすさまを活写する。現実のカトリックの世界でも、今のフランシスコ教皇が一時、体調不良を報じられ、注目が増しているこの作品。3人の識者がそれぞれの角度から分析する。

「教皇選挙」は今年の米アカデミー賞で脚色賞を受賞。日本では公開から3週連続で、週末動員ランキングでトップ10入りしています。フェミニズム理論とキリスト教学の専門家、そして選挙のドキュメンタリーを手がけてきた監督に、今作の特徴を尋ねました。

斉藤綾子・明治学院大教授(映画・フェミニズム理論)「無垢であるのは誰か」

 現代社会が抱える問題がこの映画には詰まっています。それを優れたストーリー展開と演技で見せる最上のエンターテインメントに仕上げたところが面白い。

 次期教皇を目指す有力な枢機卿のうち、初めにリードしていたのが黒人のアデイエミであるのも多様性を重んじる現代らしいです。一方、彼を阻止しようとするのは、白人で野心家のトランブレですが、彼らにセックスとマネーに絡むスキャンダルが次々発覚します。

 感心したのは、ほぼ唯一の女性の登場人物であるシスター・アグネスが、ホモソーシャルな男性集団の前でスキャンダルを明かし、糾弾すること。公衆の面前で悪を名指しする行為は、映画の父D・W・グリフィス監督の時代からある古典的メロドラマの要素なのです。

 この映画には、伝統的なジェンダー観を打ち破っていく時に社会に生じる反発が寓話(ぐうわ)的に描かれています。保守と革新のせめぎ合いは、日本でも女性天皇や夫婦別姓の問題に見られます。新教皇はイノケンティウスを名乗りますが、語源である「イノセント(無垢(むく))」であるのは誰か。後から考えれば、ローレンス枢機卿も含めて枢機卿は皆無知で、無垢なのはシスターである女性たちとも受け取れる示唆に富んだラストでした。

山本芳久・東京大教授(キリスト教学)「エンタメとして楽しんで」

 新たな展開が次々と訪れるストーリー運びにわくわくしました。感銘を受けたのが、教皇選挙で主人公の枢機卿ローレンスが自らに投票しようとした際、天井近くの窓が突然割れて光が差し込む場面です。

 おそらく「聖霊の風」を表現…

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