天皇ご一家が4~5日、戦後80年にあたって太平洋戦争末期の激戦地・沖縄を訪れる。長女の愛子さまも連れての訪沖は初めてだ。戦争で傷ついた親たちからバトンを受け継ぐ沖縄の次世代と、令和の皇室。互いに新たな思いで向き合おうとしている。

チビチリガマの中に設けられた祭壇に手を合わせる遺族。毎年慰霊祭が営まれている=2021年4月3日午後、沖縄県読谷村波平

「天皇陛下、万歳」 ガマで起きた悲劇

 日中も日の光は届かない。暗闇が広がり、低い天井からは水滴がぽたりと垂れる。

 沖縄県読谷(よみたん)村の洞窟「チビチリガマ」。太平洋戦争末期の沖縄戦で、このガマに避難した住民83人が「集団自決」に追い込まれた。

 ガマの近くに住む知花昌太朗さん(37)は数年前から平和ガイドとしてガマでの悲劇を伝えている。

 沖縄本島に米軍が上陸したのは1945年4月1日。住民はガマに追い詰められ、翌2日、肉親同士が刃物で刺し合い、毒薬を注射し、「天皇陛下、万歳」と叫びながら命を絶った。

 戦後、生存者たちは堅く口を閉ざした。80年代に調査が行われた際、住民たちと調査者をつないだのが、地元でスーパーを営んでいた父・昌一さん(77)だった。

 公民館に集まった生存者たちは「それまで押し殺していた感情があふれ出るように一気に体験を語り始めた」という。戦後生まれの昌一さんは大きな衝撃を受けた。

チビチリガマの位置

地域のタブーを破った重み「自分も担う」

 そして87年、沖縄国体の競技場に掲げられた日の丸を引き降ろし、焼いた。昌太朗さんが生まれる前日のこと。全国で報じられ、批判も浴びた。

 なぜ焼いたのか。昌太朗さん…

共有
Exit mobile version