昭和を代表する喜劇役者の古川ロッパ(1903~61年)が、終戦前後に書いた日記が早稲田大学演劇博物館(東京都新宿区)で見つかった。「日記魔」を自称したロッパの膨大な日記は、昭和史の貴重な資料として出版されているが、終戦前後の日記は失われていた。
丸顔に丸形ロイド眼鏡のロッパは昭和期のコメディアンで、エノケンこと榎本健一とともに「エノケン・ロッパ」と並び称される。東宝専属の「古川ロッパ一座」を率い、高い人気を誇った。
活躍の傍ら、ロッパは原稿用紙3万枚以上とも言われる膨大な日記を残した。
1934年から61年まで書き続けられ、「古川ロッパ昭和日記」として、戦前、戦中、戦後、晩年の各編、全4巻が晶文社から刊行。昭和の芸能や文化、風俗などを伝える貴重な資料と高く評価されているが、終戦前後の45年7月28日~9月3日の日記は失われていた。大学ノート1冊分で、知人に貸したまま戻らなかったとされている。
「力抜け、拍子抜け…」
だが、ロッパの日記を所蔵す…