フジテレビが不祥事によって信頼が揺らいでいる。だが、1990年代には、圧倒的な存在感を放っていた。その象徴が、月曜夜9時のドラマ枠「月9」だ。
「東京ラブストーリー」(91年)、「ひとつ屋根の下」(93年)、「ロングバケーション」(96年)、「HERO」(2001年)……。世帯視聴率全話平均20%越えのヒットを次々に生み、「月曜の夜9時には街からOLが消える」と言われるほどの人気作も生まれた。
しかし、「月9」という愛称をいまも耳にするが、現在のドラマ視聴では、時間や場所に縛られず、好きなときにスマホなどで手軽に接することができる配信が重視されるようになってきた。
1925年3月にラジオ放送が始まり、日本の放送にとって100年の節目だ。しかし、ネットの伸長で放送文化は岐路を迎えている。かつて、フジのドラマ作りをリードした名プロデューサー・山田良明さん(78)は、全盛期の「月9」が生み出した一体感を、「時代の産物」と振り返る。
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1987年、現在まで続く「月9」枠が生まれた。80年代のフジテレビは、バラエティーでヒットを連発して視聴率では首位に立っていたものの、ドラマでは、「積木くずし」(83年)や「3年B組金八先生」(79~11年)のTBS、「熱中時代」(78~81年)や「太陽にほえろ!」(72~86年)の日本テレビに及ばなかった。
フジテレビの80年代の「月曜9時」はそれまで、「欽ちゃんのドンとやってみよう!」など、バラエティー番組を放送していた。それを、若者向けのドラマ枠に転換した。当時のフジのドラマ制作部が生み出す作品は、平岩弓枝ドラマシリーズや「北の国から」など、作品の質は高いものの、視聴者の年齢層は高かった。
月9の第1作は、「アナウンサーぷっつん物語」。これはドラマ制作部ではなく、番組のタイムテーブルを決める編成局が主導してつくられた。しばらくは、「ラジオびんびん物語」など、グループ企業を舞台にした「業界もの」が続いた。
これに対し、「自分たちにやらせてほしい」と編成に企画を持ち込んだのは、当時ドラマ制作部門にいた、山田さんだ。それまでは「北の国から」などに関わり、若者向けというよりは、時代を超えた普遍的なテーマを追い求めるタイプだった。しかし、この時はそうも言っていられない事情があった。
記事後半で、山田さんは、坂元裕二さんの連続ドラマの脚本デビューの逸話を紹介してくれます。
「『北の国から』で倉本聰さ…