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1944年10月24日、シブヤン海で米軍からの激しい攻撃を受ける日本海軍の戦艦武蔵=米海軍歴史遺産司令部のホームページから
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 今から80年前の1944年10月23日から26日にかけ、「史上最大の海戦」とも言われるフィリピン・レイテ沖海戦が行われました。日米両軍合わせて280隻以上の艦艇が参戦し、日本海軍は24日に戦艦武蔵が沈没するなど、事実上壊滅しました。「栗田艦隊の謎の反転」など、戦史を巡る様々な議論も呼びました。防衛研究所戦史研究センターの進藤裕之国際紛争史研究室長は、日本海軍が極めて限られた戦術を取るしかなかった事情が、壊滅の背景の一つにあると指摘します。

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 ――レイテ沖海戦の前から日本海軍は厳しい状況でした。

 44年6月のマリアナ沖海戦で、航空機を中心とした空母機動部隊が壊滅状態に陥っていました。燃料不足も深刻でした。ただ、水上艦艇はかなりの戦力が残っていました。戦艦は最も多い時で12隻でしたが、レイテ沖海戦当時でも大和や武蔵、長門など9隻が健在でした。重巡洋艦も14隻残っていました。第2次大戦での海戦は、すでに航空戦力を中心とした戦闘が主流になっていましたが、この残された戦力をどのように使うかが、日本軍の課題でした。

 結局、小沢治三郎中将が率いる空母4隻を中心とした機動部隊(小沢艦隊)をおとりとして使い、米軍がそちらに戦力を集中しているすきに、栗田健男中将が指揮する部隊(栗田艦隊)や西村祥治中将らの部隊(西村艦隊)などの戦艦や巡洋艦などがレイテ湾に突入し、米軍輸送艦などを攻撃して上陸作戦を妨害するという作戦に落ち着きました。

戦史叢書に書かれた「反転の理由」

 ――「栗田艦隊の謎の反転」…

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