広島、長崎への原爆投下で胎内で強い放射線を浴び、脳や身体に障害を負った「原爆小頭症」の人たちがいる。その当事者らが79歳を迎えたことを祝う誕生会が28日、広島市東区の神田山荘であった。会を開いたのは当事者と家族らでつくる「きのこ会」で、前日27日で結成60年を迎えた。
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原爆小頭症は、1965年に刊行された岩波新書「この世界の片隅で」のルポで広く知られるようになった。中国放送の記者だった故秋信利彦さんが米国原爆傷害調査委員会(ABCC)の職員からひそかに患者リストの提供を受け、当事者を訪ね歩き、執筆した。
刊行を前にした同年6月27日に広島市内の婦人会館に当事者のいる6家族が集まり、きのこ会を結成。原爆症認定や終身保障、核兵器廃絶を求めて活動してきた。
これまでにきのこ会に参加した当事者は25人。現在は10人で、すべてが広島での被爆者だ。
誕生会にはオンライン参加の2人を含めた5人の当事者を含め、家族、支援者ら約50人が集まった。会場には今年1月に78歳で亡くなった岸君江さんの遺影が置かれ、冒頭に黙禱(もくとう)を捧げた。
小頭症の人たちは46年1~3月に集中して生まれており、存命者はみな79歳となった。長岡義夫会長(76)は「みなさんは20歳まで生きられないと言われたが、来年にはその4倍の年になる。いつまでも一番若い被爆者でいてください」とあいさつした。
会ができた当時は中国新聞記者で、結成会合にも出た元広島市長の平岡敬さん(97)は「今の核状況、トランプ大統領の発言を考えると複雑な気持ちだ。みなさんは核兵器の恐ろしさの生き証人だ。来年もここでお会いしたい」と話した。
会では、当事者3人がバースデーケーキのろうそくを吹き消したり、長岡会長からそれぞれに表彰状が手渡されたりした。会場にはきのこ会の発足初期に撮影された患者や家族の写真が展示された。