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 第2次世界大戦中、米国が原爆を極秘に開発した「マンハッタン計画」に、18歳で参加した天才物理学者がいた。彼は広島と長崎に投下された原爆の研究に関わった一方で、開発についての機密情報を旧ソビエト連邦に流出させた。その行為は1990年代まで明るみに出なかった。この「知られざるスパイ」の名前はセオドア・ホールという。

写真・図版
セオドア・ホールの写真=映画「原爆スパイ」から© Participant Film

 ニューヨークの裕福なユダヤ系家庭に生まれたホール(1925~99)は、幼少期から数学や物理の才能を発揮し、飛び級で入った米ハーバード大を18歳で卒業した。「原爆の父」と呼ばれるロバート・オッペンハイマーが率いたマンハッタン計画に最年少で加わり、広島に投下された原爆「リトルボーイ」の設計や、長崎に落とされた「ファットマン」の実験にも関与したという。

「ソ連の原爆開発を数年早めた」

 一方で、ニューメキシコ州ロスアラモスの原爆開発拠点に勤務する科学者らの詳しい情報や、ファットマンに用いられた「爆縮」という起爆方式の技術に関する機密情報などを、当時の米共産党員の友人サビル・サックスと協力して、ニューヨークのソ連領事館にひそかに提供した。第2次大戦後に研究拠点をシカゴ大に移した後も、水爆開発に関する機密情報をソ連側に流し続けた。ホールが提供した情報は重要で、ソ連の原爆開発を数年早めた、とも言われる。

 原爆開発情報をめぐるスパイ…

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