広島原爆忌の8月6日、千葉県庁で開かれていた原爆のパネル展の会場で自らの被爆体験などを語る日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)事務局次長の児玉三智子さん=2025年8月6日午後4時31分、千葉市中央区市場町、中野渉撮影

 終戦から15日で80年を迎えた。被爆当事者の声を直接聞けなくなる日も迫る中、高齢の被爆者は「継承」の使命感とともに、核廃絶実現への焦燥を募らせる。日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)事務局次長の児玉三智子さん(87)=千葉県市川市=もその一人。7歳の時に広島で被爆し、自身の体験を国内外で伝えてきた。「再び被爆者をつくらないでください。核兵器をつくるのも使うのも、止めることができるのもなくすことができるのも、私たち人間です」。心からのメッセージを送り続ける。

相次ぐ海外メディア取材、感じたノーベル賞の力

 日本被団協は昨年、ノーベル平和賞を受賞した。ノルウェーでの授賞式に参加した児玉さんのもとには、その後も海外メディアからの取材が相次ぎ、「ノーベル賞の力はこんなに大きいのかと感じた」。

 児玉さんは、爆心地から約4キロ離れた国民学校で被爆した。「突然のものすごい光と爆風、窓ガラスが割れて飛び散り、私にも突き刺さった」

 直前に爆心地近くの学校から転校しており、自身や家族は生き延びた。だが爆心地近くにいた当時14歳のいとこは体中にやけどを負い、原爆投下から3日後、児玉さんの腕の中で息絶えた。「最後に小さい声で『お水』と言った。その声や光景、においを忘れられない」。児玉さんにとって「大好きないとこのお姉ちゃん」だった。

 原爆投下から数年後、両親を…

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