広島への原爆投下から6日で80年。15歳の時に広島で被爆し、子どもらに被爆証言を続ける兵庫県宝塚市の岡辺好子さん(95)は、焼けただれた父を抱きしめた瞬間を思い出すと、いまも涙があふれる。今夏、参院選で候補者が「核武装が最も安上がり」と主張し、支持を集めた。私の話をまず聞いてほしい。それでも、本当にそう思いますか。
岡辺さんは当時、広島女学院高等女学校(現在の広島女学院中学高校)の生徒で、学徒動員で鉄道局で働いていた。
4人姉妹の三女。両親は「一度も怒ったことがない本当に優しい人」だった。
原爆投下前日の1945年8月5日。妹は疎開先の岡山の親族宅にいたが、父からの「広島には爆弾が一発も落ちていない。夏休みだし帰っておいで」という呼びかけで、自宅に戻ってきた。
久しぶりに家族6人が夕食を囲んだ。もし何かあったら広島市北部にある避難先の小学校に集まって、「家族みんなで岡山へ帰ろう」と決めた。
翌6日。軍にロープを卸す仕事をしていた父は司令部での会議のため、母は家を解体する勤労奉仕のため、それぞれ原爆ドームのそばへ出かけていた。
岡辺さんは自宅の居間で動員先に出かける準備をしていた。その時、何かがピカッと光った。とっさに指で両目を塞ぎ、体を伏せた。
ドオーン。地面が突き上げられるような衝撃を受け、耳を引き裂くような爆発音が響いた。「焼夷(しょうい)弾を落とされたのか」
爆心地から1.5キロの自宅…