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資料の整理などに当たった九州大医学部の中嶋涼子さん(右)と山本育生さん=福岡市の九州大学病院キャンパス
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 太平洋戦争末期、九州帝国大(現・九州大)で捕虜の米兵が実験手術で殺害された「生体解剖事件」から80年。手術に立ち会った医師の故・東野(とうの)利夫さんが生前に残した資料を紹介する企画展が、九州大学医学歴史館(福岡市東区)で始まった。九大での展示は初めて。資料の整理には医学部生も参加し、極限状態での医療倫理について考えた。

 生体実験を受けたのは米軍機B29の乗組員ら米兵8人。1945年5~6月、旧日本軍に撃墜されて捕らえられた後、九州帝大に運ばれて旧日本軍監視のもとで臓器を摘出されるなどした末に全員死亡した。本土決戦に備え、人間はどの程度まで出血に耐えられるか、海水は代用血液として使用できるかなどを確かめるためだったとされる。

 戦後、軍将校や九大教授ら30人が戦犯として起訴され、23人が有罪となった。遠藤周作の小説「海と毒薬」の題材にもなった。

 当時19歳で九州帝大の医学生だった東野さんは、解剖学講座の雑用係として4人の手術を見学。2人に関しては輸液のビンを持たされ、死亡後に標本を採取する手伝いもさせられた。

 「これは手術なんだ」。麻酔で眠っている人間から臓器が摘出されている様子に戸惑いながら、自分にそう言い聞かせた。空襲で多くの犠牲者が出るなか、米兵への憎しみもあった、と後に証言している。

 戦後は事件の悪夢にうなされ…

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