日本銀行が2015年1~6月に開かれた金融政策決定会合の全議事録を公開した。「異次元」金融緩和のスタートから2年が経ち、当初目標とした「2年で物価上昇率2%」の達成はできなかった。それでも物価目標の実現に向けて強気の姿勢を崩さない執行部に対し、一部の審議委員からは異論が出ていた。当時の審議委員と理事が10年前の議論を振り返った。

  • 「異次元」金融緩和への疑義に、リフレ派が猛反発「何しに来たのか」

当時の日銀審議委員で、野村総合研究所の木内登英エグゼクティブ・エコノミスト

 ――この時期の議論で印象に残っていることは。

 「4月にテーパリング(緩和縮小)を提案した。2%の物価目標に達しなくても、政策に見切りをつけるべきだと主張していたので、それを実行した。ただ、会合では集中攻撃を受けた。(物価が下がり続ける)デフレに後戻りしたらどうするんだ、と。だが、国債市場の機能度の低下など弊害は大きくなっており、ブレーキをかけるのが自分の役割だと考えていた」

野村総合研究所の木内登英エグゼクティブ・エコノミスト

 ――会合はどんな雰囲気だったのか。

 「量的・質的金融緩和(異次元緩和)は導入当初から一枚岩ではなかった。その効果を強く信じていた黒田東彦(はるひこ)総裁らと、効果があるか分からないが試す価値はあると考えていた人たちがいた。2年が過ぎ、14年10月の追加緩和を含めて政策効果が十分に出ない中で、後者の人たちは懐疑的な見方を強めていった」

無理筋な見立て「正直、理解できなかった」

 ――緩和縮小の提案は賛同を…

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