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 米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)に隣接する沖縄国際大学に米軍の大型ヘリが墜落してから13日で20年になる。この間、沖縄では十数日に1度の頻度で米軍機の事故が発生。異常な状態が日常化しているが、有効な対策がとられることもなく、放置されている。

いつもの机に、100キロほどのコンクリート

写真・図版
米軍ヘリの墜落で黒煙が上がる沖縄国際大学の構内=2004年8月13日、沖縄県宜野湾市、沖縄タイムス提供

 機体が激突し、炎上した大学本館は黒煙に包まれていた。当時産業情報学部長だった同大名誉教授の富川盛武さん(76)は事故直後にかけつけ、砕け散った機体の残骸も目撃した。事故時に建物内にいた職員からは、机に優に重さ100キロはあるコンクリートの塊が載っていた、たまたま席を外していた、と聞いた。塊は建物の一部とみられた。「とんでもないことが起きた」。富川さんはあの日の光景が忘れられない。

 それから20年。日米政府は何をし、地元では何が起きてきたのか。

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記事の後半では、この事故の報道をきっかけに基地問題をネタにする舞台「お笑い米軍基地」を旗揚げした芸人のインタビューをお届けしています。

 普天間飛行場には2012~…

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