14年前の東日本大震災では、外国籍の技能実習生たちも被災した。宮城県女川町の水産加工場で働いていた中国人30人以上に聞き取り調査を行った女性がいる。
中国東北部の黒竜江省出身で、1993年に来日した佐久間明秋さん(65)。日本人と結婚し、日本国籍も取得した。2000年から東北学院大学(仙台市青葉区)で中国語の非常勤講師を務めるかたわら、知り合いの紹介で、女川町の水産加工場で働く中国人技能実習生たちの日本語教師と生活指導員を担うようになった。
11年の震災直後、仙台市内にいた佐久間さんは車で石巻市の自宅へ向かい、市立住吉中学校に避難していた家族と合流。技能実習生たちの安否は水産加工場の従業員への電話で確認した。
全員無事だったが、職場は津波で流された。実習生たちの働く場所はなくなった。
法務省によると、10年時点で宮城県内に住んでいた技能実習生は865人。震災の影響で11年12月までに380人に激減した。その後、一部が再び日本に戻り、12年には780人まで回復したという。
佐久間さんが教えていた10年までに教えた実習生約500人のうち、震災後に約120人が帰国したが、このうち30人以上が女川へ戻った。借金をして来日していたため、その返済のために働き続ける必要があったのに加え、「宮城に思い入れがある」と話す実習生もいたという。
「災後、絆という言葉をよく耳にした。絆とはいったい何かをテーマに論文を書きたかった」と佐久間さん。13年4月から、女川に戻った技能実習生たちに聞き取り調査を開始した。
調査が進むにつれて、実習生たちが抱えていたトラウマや葛藤が明らかになった。
「地震が起きたとき、津波が…