警察庁長官だった国松孝次さん(87)が銃撃され、重傷を負った事件の発生から30日で30年が経つ。警察トップが狙われ、社会に衝撃を与えた事件は未解決のままだ。当時、警備と捜査双方の最高責任者の立場である警察庁警備局長を務めていた杉田和博・元内閣官房副長官(83)が朝日新聞の取材に応じた。事件を許した警備上の責任と、捜査で真相を解明できなかった無念さを感じてきたという。
2010年に時効、迷走した捜査
地下鉄サリン事件の直後に起きた警察トップへの銃撃事件は社会に衝撃を与えた。その後の警視庁の捜査は迷走し、2010年に時効を迎えた。真相は明らかにならないままだ。
当時はオウム真理教に対する警察の捜査が本格化している時期だった。1995年3月20日に地下鉄サリン事件が発生し、同22日に警視庁がオウムの関係施設を一斉捜索するなどしていた。
1995年3月30日朝、東京・霞が関にある警察庁の警備局長室で、警視庁から事件の連絡を受けた。全国の警察を挙げてオウム真理教への捜査を進めているさなかで、「オウムの捜査への指揮を執っていた長官が撃たれた。社会の驚愕(きょうがく)はいかばかりか。申し訳ない、えらいことになったなと思った」と当時を振り返る。
事件直前には国松長官や他の警察幹部の自宅に、オウムへの捜査を批判する内容のビラが入れられるなどしていたこともあり、長官らに対する「脅威」はあると判断し必要な警戒をしていたという。ただ、直近を固める警備体制は取っていない中で銃撃事件が起きた。「警備が甘かったと言われても仕方がない。警備の一番の責任は私にある」と胸の内を明かした。
銃撃事件の捜査を、殺人など…