敬子さんは闘病中も体力作りに励んだ=佐野潤一郎さん提供

それぞれの最終楽章 看護部長ががんに(5)

米文学研究者 佐野潤一郎さん

 妻の敬子が2020年5月に卵巣がんになり、翌21年2月に私にも膀胱(ぼうこう)がんが見つかって、「がんサバイバー」になりました。50代半ばの夫婦とあって、ほぼ同じ時期にそれぞれの母親が認知症と判明、公的な介護サービスを受け始めました。

 敬子は21年3月に病院の看護部長を退職し、1カ月ほど休んだ後、地元保健所でコロナ対策の最前線に立ちました。抗がん剤の副作用でまだ手がしびれているにもかかわらず、マスクをつけ、防護服をまとい、検体回収や感染者の状況観察に駆け回っていた。看護師であり続けたいのと同時に、逼迫(ひっぱく)する医療現場から目を背けられなかったようでもありました。

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 しかし7月、敬子はがんの再発を告げられました。〈何のためにがんばってきたのか?〉と激しく落ち込み、むなしさと悔しさでぼうぜん自失に陥っていた。そんな中で頼ったのが「マギーズ東京」(東京都江東区、https://maggiestokyo.org/)でした。がんに影響を受ける人なら誰でも無料で相談できるNPO法人で、スタッフから「緩和ケアに行ってはどうか」と電話でアドバイスされました。患者自身でうまく言葉にできない状況を、主治医に的確に伝えてくれる、というのです。

 敬子は看護の専門職ですが…

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