「十二宮・私たちの水瓶」 挿絵・風間サチコ  現代社会をイメージした作品を毎月掲載します。

論壇時評 宇野重規・政治学者

 「独裁者」の時代が終わりつつあるのか、あるいは新たな始まりか。日々、世を騒がす出来事を見ていると、そのいずれなのかわからなくなる。

 読売新聞の代表取締役主筆であった渡辺恒雄氏が昨年末に亡くなった。「ナベツネ」と呼ばれ、長く読売新聞に君臨した渡辺氏は、自らを「最後の独裁者」と呼んでいたという。かつて読売新聞の記者であり、プロ野球巨人の球団代表時代に渡辺氏と対立した清武英利は、氏を「矛盾の塊のような人」という《1》。対談相手のジャーナリストの魚住昭もまた、権力を監視するはずのジャーナリズムが、情報を得るために権力に接近し、やがてその一部となっていったことを、「民友社」の徳富蘇峰と比較しつつ批判する。

 メディア文化史の山本昭宏は、学生時代に共産党に所属した渡辺氏が、組織内で権力を掌握する術(すべ)を学び、やがて統治者の側に立つ「権力の思想」の持ち主となる一方、自らの戦争・軍隊体験に基づいて戦争に反対し、靖国神社を批判した両面性を指摘する《2》。独特な「独裁者」を生んだのは、戦中派世代の時代経験であった。

人を傷つけ排除し、個人の尊厳を損なう風土に変化を

 元タレントの中居正広氏が起こした女性とのトラブルをきっかけに、フジテレビは社としてのあり方を問われている。フジサンケイグループ代表の日枝久氏もまた、人事権をてこに長らく同グループを支配したとされる。この問題を以前から報じてきたジャーナリストの中川一徳は、創業家をクーデターによって追放して以来、33年にわたる長期政権が自由にものを言えない空気を蔓延(まんえん)させ、情実人事が基本的な経営能力の欠如をもたらしたとする《3》。ただし、新聞社とテレビ局が〝身内〟であるがゆえの癒着は構造的で、同グループだけの問題ではない。

 何か問題が起きると隠すことを試み、それが不可能になると関係者を処罰する。そして問題を生んだ組織の風土はそのまま温存される。あまりに見慣れた風景だが、そこで救済されないのは個人の「尊厳」である。被害に遭い、仮に補償を受けたとしても、人を傷つけ、排除する土台が変わらない限り、被害に遭う恐怖や不安はなくならない。フェミニズム理論の岡野八代は、存在を認められ、他者から大切にされてようやく人は自らの尊厳を感じられると説く《4》。

 こうしてみると、「独裁者」をめぐる問題は、特定の個人だけでなく、それを可能にする構造にあることがわかる。なぜ個人の「尊厳」を損なう状態が、そのままになっているのか。それを許したのは誰か。このことを問わない限り、「独裁者」の時代は終わらない。

周りの国々次第でトランプ氏が「独裁者」に

 米国のトランプ大統領はどうだろうか。国際関係史のマーガレット・マクミランは、ヒトラーらを素材に、強力な指導者を生むのは強烈な個性か、あるいは時代環境かを論じる《5》。トランプ氏が訴求力を持つのも、既存の連邦政府への幻滅の広がりと、人々の懸念や怒りを代弁することに長(た)けた彼の才能の結びつきによる。しかし、国際ルールを破っても何の責任も問われないなら、それに続くものが出る。何十年も続いた現在の国際秩序のルールが崩れるのは一瞬かもしれない。

 ユーラシア・グループのイア…

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