Smiley face
写真・図版
東大付属日光植物園で、弟の義宮(常陸宮)さまと遊ぶ皇太子時代の上皇さま(右)=日光市史下巻から
  • 写真・図版
  • 写真・図版
  • 写真・図版

8月1日(2015年) 「玉音放送」の肉声を記録した原盤、初めて公開

 昭和天皇が終戦を伝えた「玉音放送」として、私たちが長年耳にしてきたものは、複製された音声だった。「玉音盤」と呼ばれる原盤が初めて公開されたのは、戦後70年の2015年8月1日のことだ。

 「玉音」とは天皇の肉声を意味する。複製された音声は、戦後に連合国軍総司令部(GHQ)が作らせたものとされる。「玉音盤」は、宮内庁が皇室の所蔵物「御物(ぎょぶつ)」として金庫に入れて保管していた。

 戦後70年にあたり、歴史的な史料を多くの人に知って欲しい――。宮内庁が公開に踏み切ったのは、天皇、皇后両陛下をはじめ、皇太子さま(いずれも当時)、秋篠宮さまの意向があった。

 「大東亜戦争終結に関する詔書」を読み上げる音声は、約4分30秒。劣化が激しいものの、昭和天皇の声が、より高く、はっきりと録音されている。これが1945年8月15日正午にラジオで放送された。

 「自分の出来ることは何でもする」――。玉音盤が録音された終戦前日の8月14日、昭和天皇はそう発言したとされる。ただ、軍部にはなお「徹底抗戦」を叫ぶ声があり、放送が阻止される恐れもあった。

 敗色が濃厚となって迎えた1945年。東京大空襲、沖縄での地上戦、8月6日には広島、9日には長崎に原爆が投下された。昭和天皇は8月14日昼の御前会議で、無条件降伏を受け入れることを決断する。「私が国民に呼びかけることがよければ、いつでもマイクの前に立つ」とも述べたとされる。

 栃木・奥日光に疎開していた上皇さまは、当時11歳でした。滞在していたホテルの一室で、父の声に正座して聴き入ったといいます。記事の後半には、朝日新聞が専門家に依頼して現代語訳を作成した玉音放送の全文があります。

 「昭和天皇実録」などによる…

共有