名古屋市にある老人保健施設サンタマリア。夕食の時間、車いすに座った二三味(にざみ)きくいさん(99)の口元に、介護職員がスプーンでご飯を運ぶ。「おいしいですか?」との声がけに、「ああ」と短く答え、ほほ笑んだ。
きくいさんは、2024年1月1日に能登半島地震が起きるまで、生まれ故郷の石川県珠洲市にいた。入所していた高齢者施設が被災し、11日に自衛隊のヘリで名古屋空港に運ばれ、19日にここに入居した。
当初、食事は自分で食べることができ、健康状態も安定していた。だが、新型コロナウイルスに感染して居室のベッドで過ごすことが多くなったこともあり、足腰が弱って、トイレでの排泄(はいせつ)も困難になった。
9月に要介護度が4から最も重い5に上がり、現在は全介助の状態だ。
サンタマリアの職員にとって、遠くの地で被災した高齢者を受け入れるのは、初めてのことだ。きくいさんに関する情報が限られ、試行錯誤を続けてきた。きくいさんは記者に「ここは、いい人ばっかり」と話した。
ただ、副介護長の種山雅之さん(56)は、体力の低下を心配する。
「高齢になり、何があるかわからない。できることなら、地元に早く戻って平穏な生活をしていただきたい」
珠洲の施設、再開めど立たず
珠洲市で農業を営む長男の二三味義春さん(78)は「本当は帰って来てほしい」と記者に語った。「でも、今いる施設でお世話になるしかない」
きくいさんがいた施設の再開のめどは立っていない。「設備が十分でなく、職員が避難して、いなくなっている。復旧は容易なことではないと思います」と義春さんは話す。
珠洲市のグループホームに移ることを勧められたこともあった。だが、必要とされる介護を考えると難しい。自宅で「老老介護」する余力もない。
サンタマリアのきくいさんのベッド脇の棚に、1枚の家族写真が飾られていた。
「珠洲に帰りたいですか?」と記者が尋ねると、しばらく遠くを見つめ、笑みを浮かべた。
「どこにおったらいいのか、わかりません」
義春さんらが待っていることに触れると、かつての暮らしを思い出したように、「みんなと一緒に暮らしておりました」と口にした。
そして、それまでとは違うはっきりした力強い声で繰り返した。
「珠洲に帰りたい、帰りたい」
能登半島地震では、入院患者や高齢者施設などの入所者が、次々と被災地の外へと運び出された。災害派遣医療チーム(DMAT)が調整した人だけでも、病院から約900人、施設から約700人に上る。
金沢市以南の救急病院は、被災地から延べ1千人を超える人を受け入れ、病床は逼迫(ひっぱく)した。石川県の要請もあり、受け入れ先は富山や福井、愛知の各県に広がった。
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