■五輪と平和 明石康さんが語る
ウクライナや中東での戦闘に終わりが見えないなか、7月26日のパリ・オリンピック(五輪)開幕が近づいている。国際オリンピック委員会(IOC)は「五輪休戦」の概念を国際連合(国連)にもちこみ、世界平和への積極的な関与を目指したことがある。五輪は本当に「平和の祭典」なのか。国連の元事務次長で、IOCとの連携に尽力した明石康さん(93)に聞いた。
明石さんは1994年、旧ユーゴスラビアで国連保護軍の指揮を執ることになった。
かつての任地カンボジアでは、内戦状態のなかで国連平和維持活動を指揮。民主選挙の実施にこぎつけた。
大きな期待を背負って足を踏み入れた現地では、民族間の戦闘が泥沼化していた。
拠点としていたボスニア・ヘルツェゴビナの首都サラエボから、セルビア軍勢力の本部まで車で約2時間、何度も交渉に訪れた。山道の途中には、競技場など84年冬季サラエボ五輪の名残があった。「その山には美しい花も咲いていた。その花と花の間からは、隠されたセルビア軍の大砲が見えていた」
サラエボ市内にあった五輪関連の施設も武器保管庫などとして使われていた。「五輪によって一時的に咲いた平和の花は、どこでしぼんでしまったのか。わずか10年で同じ場所で人間と人間の極めて激しい戦いが行われていた。五輪が残したプラスの遺産を、私は発見することができなかった」
旧ユーゴでの混乱は国連の力だけで解決することができず、国連の限界を感じながら95年に旧ユーゴを後にした。
次の任務は、国連の代表としてIOCとの調整にあたることだった。
「当時は、ギリシャが五輪開催を目指していた。約3千年前に古代五輪を行っていた彼らにとって、五輪はまさに『平和の祭典』だった。都市間の争いが絶えない国家において、五輪の開幕1週間前から閉幕後1週間までは争ってはいけないという『聖なる休戦』が守られていた。五輪によって平和がつくられていたということだ」
「ギリシャやIOCは、国連…