聞きたかったこと 広島
語れる時に語らなければ。あの日の生の体験を――。
広島市中区の山瀬潤子さん(87)は、2020年から広島平和文化センターの被爆体験証言者として活動を続けている。
山瀬さんは1936年、台湾で生まれた。2歳の時に家族で帰国し、広島市に住んだ。
45年8月6日。山瀬さんは国民学校(小学校)の3年生で、8歳だった。両親と兄、妹、弟の6人暮らしだった。
午前8時15分。広島市段原中町(現・南区段原3丁目近く)の自宅で、母らと朝食を終えたところだった。山瀬さんは台所にいた。その時、台所の高い窓がだいだい色に光った。まるで裸電球をともしたかのようだった。
次の瞬間、激しい揺れと轟音(ごうおん)が襲った。山瀬さんは母と抱き合って床に伏せた。ガラスの破片が散らばった。
壊れた家、叫ぶ人…「ここは戦場になった」
「家に爆弾が落ちた」。とっさに、そう思った。急いで家の外に出ると、隣に住む女性が子どもを抱きながら、「助けて、助けて」と叫んでいた。腕から血が噴き出していた。女性の子の「トシちゃん」は目にガラスの破片が突き刺さり、失明したと後に聞いた。
近所の様子は大きく変わって…