沖縄師範学校の学徒たちが戦没した「健児の塔」の近くにある水辺では、女性が8人の孫らとともに、手を合わせていた。叔父がこの場所で亡くなったと聞き、毎年訪れている。孫の平良灯与里さん(12)は「平和が続きますようにとお祈りしました」と話していた=2025年6月23日午前9時13分、沖縄県糸満市摩文仁、内海日和撮影

 太平洋戦争末期の沖縄戦の犠牲者らを悼む「慰霊の日」の23日、沖縄県糸満市摩文仁(まぶに)にある県平和祈念公園で沖縄全戦没者追悼式が開かれた。玉城デニー知事が平和宣言を読み上げ、石破茂首相も出席した。

 戦後80年の節目となる今年の平和の詩は、豊見城市立伊良波小学校6年の城間一歩輝(しろまいぶき)さんの「おばあちゃんの歌」。祖母が歌う民謡「艦砲ぬ喰(く)ぇー残(ぬく)さー」に込められた悲しみを知り、〈「艦砲射撃の食べ残し」と言われても/生きてくれて本当に良かったと思った〉と思いをつづった。城間さんはまっすぐ前を向き、一言ずつはっきりと詩を読み上げ、大きな拍手を受けた。

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 玉城知事は、現在も沖縄は「過重な基地負担が続いている」と指摘。沖縄が果たすべき役割として「国際平和研究機構の創設に向けた取り組みを進める」と宣言した。

 また、今年は国連の軍縮部門トップの中満泉事務次長や、昨年のノーベル平和賞を受賞した日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)代表委員の田中重光さんも参列した。

 80年前の沖縄戦では、約3カ月に及ぶ地上戦で日米合わせて計20万人余りが犠牲になった。

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