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 日本銀行は16日、2015年1~6月に開いた金融政策決定会合の全議事録を公開した。「2年で物価上昇率2%」をめざして「異次元」の金融緩和を始め、目標の2年が過ぎた時期だったが、物価は0%台に低迷。会合では、それでも「2年程度」にこだわる執行部に対し、疑問が噴出していた。執行部は批判をはねのけたが、物価はその後も上がらず、異例の政策は長期化した。

  • 「決定会合で集中攻撃受けた」緩和の弊害を指摘した元日銀委員の回想

 「議案を提出する」

 「議案を提出する」

 「議案を提出する」

 15年4月30日午後0時半すぎ、東京・日本橋の日銀本店で開かれた決定会合で、3人の審議委員が相次いで声を上げた。

 議長の黒田東彦(はるひこ)総裁(当時、以下同)と、2人の副総裁、6人の審議委員が囲む円卓に緊張感が走った。3人が異論を唱えたのは、物価目標の達成時期だった。

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会見する日本銀行の黒田東彦総裁(当時)=2015年5月22日午後、東京都中央区の日銀本店

 日銀は13年4月、デフレ脱却を目指して異次元緩和を始めた。国債の買い入れを一気に増やし、上場投資信託(ETF)の購入も増やした。物価上昇率2%を「2年程度の期間を念頭に置いて、できるだけ早期に実現する」とのコミットメント(約束)を掲げた。

 中央銀行が強く約束することで人々の「期待」に働きかけ、実際に物価が上がる――。そんなシナリオだった。

 物価上昇率は一時1%台半ばに高まったが、その後に息切れ。14年4月の消費増税後の消費回復の鈍さや、「最大の想定外」(黒田氏)の原油安が物価を押し下げた。

 15年4月の会合で示された議長案は、物価目標の達成時期を「15年度を中心とする期間」から「16年度前半ごろ」に後ろ倒しする内容だった。

 異次元緩和が4年目に入ることを意味するが、黒田氏は「2年程度」での実現をめざすコミットメントを「変更しなくてもいい」と主張した。日銀出身の中曽宏副総裁も「コミットメントに修正を加えるのは適切ではない」「人々のデフレマインド転換に向けたモメンタム(勢い)を維持していくための重要な装置としての役割を果たしてきた」と擁護した。

執行部に相次ぐ反論「金融政策の柔軟性をそぐ」

 議長案に対し、まず学者出身…

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