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佐藤栄佐久さん=2013年12月、福島県庁

 福島県知事を18年間と歴代で最も長く務めた佐藤栄佐久(さとうえいさく)さんが19日に亡くなった。85歳だった。汚職事件で有罪が確定したものの、福島空港の開港などの実績を残した。脱原発の姿勢を貫くなど、信念を曲げない政治家だった。

 川内村の遠藤雄幸村長は、初当選した2004年に就任あいさつで佐藤知事(当時)のもとを訪れた。そのころ、「平成の大合併」として、国は市町村合併を推し進めていた。合併した自治体には、返済の7割を国が肩代わりする地方債(借金)の発行を認めるなど「破格の恩恵」があった。だが、佐藤さんからは「それぞれの自治体の判断でいいんだよ」と言われたという。

 佐藤さんは「国が県を、県が市町村を指導する時代ではない」との立場から、「合併は市町村が住民とともに自主的、主体的に判断すべきだ」との姿勢を取った。その結果、県内に90あった市町村の多くが合併をせず、今も自治体数は59ある。

 「中央に指示されたからと、なびくことはせず、強烈な政治家だった」と遠藤村長。就任あいさつ時には、二つの助言をもらったという。「災害や事故が起きたら、必ず現場に出向き、何が起きているかを自分で見て判断すること。もう一つは、損得で判断したら間違うときがあると。そのときに意味はわからなかったが、常にぶれない判断基準を持つことが大事だと気づかされた」

 原発事故で全村避難した際も、避難先となった郡山市のビッグパレットに佐藤さんは「足りないものはないか」と何度も訪れてくれたという。

 知事在任中は、1993年に福島空港と県立会津大学を開設、2000年にアクアマリンふくしま開館、01年には「うつくしま未来博」開催など、地域の発展に尽力した。

原発に対し毅然とした態度

 三春町の臨済宗僧侶で作家の玄侑宗久さん(68)は「とても責任感の強い、優しいリーダーだった」としのんだ。

 最初にひかれたのは、199…

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