東日本大震災当時の仙台市長・奥山恵美子(73)。東北の沿岸市町で最も多くの避難者を抱え、最も早い復興を牽引(けんいん)した首長でもある。何を考え、どう動いたか。奥山が久々に語った。
2011年3月11日午後2時46分。強い揺れが始まったのは、ちょうど市議会の休憩時間だった。議論に退屈し、秘書課に戻っておやつでも食べようと思っていた。
奥山の頭をよぎったのは、初当選をした2年前の選挙の時のこと。「いま市長になったら、宮城県沖地震に当たってしまうよ」と誰かに言われた。30年以内に90%超の確率で来ると言われていた地震だ。
予言的中だわ。でもそれなら、市役所には防災計画も備えもある。なんとかやれるでしょう。
甘かったと思い知るのは、1時間後。
「私のまちで、経験したことないことが起きている」
災害対策本部に置かれたモニ…