米の高騰が、大きな政治課題になっている。日本の歴史を長い目でみると、米と政治はどんな関係を結んできたのか。「政治の米・経済の米・文化の米 稲と米で読む日本史」(山川出版社)を最近著した新谷(しんたに)尚紀(たかのり)・国立歴史民俗博物館名誉教授(民俗学)に、1800年の流れを語ってもらった。
天皇は「稲の王」
日本では米はずっと主食であり、主穀だった。それは必ずしも、たくさん食べているということを意味しない。古代以降、近代になっても農民たちはなかなか米が口に入らなかった。それでも米は、常に中心的な食べ物であり続けた。
古代のヤマト政権では、天皇は「稲の王」であり、稲作栽培をリードしてきた存在だった。象徴的なのが3世紀に現れる前方後円墳で、その周囲にあるお堀はため池として使われていたようだ。そこにふんだんに水を蓄えることで、人々に「ありがたい」と思われたのではないか。大阪府の岡ミサンザイ古墳のように、明治以降も灌漑(かんがい)用水に使われていた例もある。
古事記や日本書紀にあるアマ…