およそ100年前、人口2万人ほどの小さな町だった現在の神奈川県茅ケ崎市に、世界に名をはせた製糸工場があった――。
こんな忘れられた歴史を、元中学教師がコツコツと調査し、掘り起こした。「糸もつくるが人もつくる」といわれた工場の姿にひかれたからだ。
相模湾を望む小さな丘にある「茅ケ崎ゆかりの人物館」。ここで「純水館茅ケ崎製糸所」を紹介する企画展が開かれている。
皇室に献上、アメリカにも輸出
純水館は1917(大正6)年、現在のJR茅ケ崎駅北側に開業した。
蚕の繭から糸を取り、生糸を生産する工場で、約4万平方メートルの広大な敷地に30棟以上が建ち、約350人が働いた。
高品質の生糸は皇室に献上されたほか、横浜港からアメリカへ輸出され、女性用のシルクストッキングの原料として重用されたという。
しかし、関東大震災で全壊。再建したものの負債を取り返せず、37(昭和12)年に廃業した。
世界屈指の技術とうたわれ、一時は茅ケ崎のシンボルだったが、操業期間がわずか20年と短く、遺構が残らなかったことなどから、近年は知る人も少なくなった。
そこに光をあてたのが、同市の中学校で社会科を教えてきた名取龍彦さん(65)だ。
純水館はもともと、蚕糸業が盛んだった長野県から茅ケ崎に進出した。長野出身の名取さんは興味をひかれ、定年後から研究を本格化させた。
図書館で当時の新聞や統計を調べ、博物館に通って文献を取り寄せ、長野と茅ケ崎を行き来して証言を集めた。
工場の高い技術とともに名取さんがひかれたのは、純水館の経営方針だった。
労働環境が劣悪なイメージだが
製糸所は劣悪な労働環境のイ…