パソコンの画面越しに向き合った男性は、確かに他人ではない感じがした。
その米国人男性は、黒島トーマス友基(ゆうき)さん(38)が初めて会ういとこだった。
黒島さんの父方の祖父は、第2次世界大戦後の日本に駐留していた米軍人だ。大阪で祖母と出会い、1950年に黒島さんの父親が生まれた。だが、同年に始まった朝鮮戦争に従軍した後、米国に帰ってしまった。
祖母は黒島さんが1歳の時に他界。祖母が残した写真はあるが、名前が「ギル・トーマス」らしいこと以外、詳しいことは分からなかった。父も詳しい事情は聞いていなかったようだ。無関心を装っていたが、11年前に亡くなる直前、病床で「父親に会いたい」と言っていた。
黒島さんは長い間ルーツに悩んできた。幼い頃は「祖父がアメリカ人」というのはちょっとした自慢だった。ところが、中学生になって胸毛が生えると、自分は異質な存在で、周りから排除されるのではないかと怖くなった。事情は何であれ、祖母や父を置いて行った祖父に憎しみもあった。
一度だけクラスで、アメリカの血を引いていることを公言したことがあった。「英語もしゃべれんのにガイジンぶるなや」と、からかいの対象になっただけだった。
「純粋な日本人」になりたかった。10代半ばになると、部屋に日の丸を飾り、軍歌を聴いた。学校に行かず、生活は乱れた。
進学した大阪府立長吉高校は、外国にルーツがある生徒が多かった。「外国人嫌い」だったので気に入らなかったが、3年次の春、考えを変えさせられることがあった。
外国ルーツの仲間に感じた「後ろめたさ」
頼っていた先生に誘われ、外…