「終戦」前日の14日から当日にかけ、米軍による空襲が全国各地であり、多くの市民が犠牲になった。その一つ、大阪市では14日、乗客や市民が死亡した現在のJR京橋駅で慰霊祭が行われ、約200人が参列した。
大阪市東部では1945年8月14日昼ごろ、米軍B29爆撃機が襲来。東洋一とも言われた兵器工場「大阪陸軍造兵廠(しょう)」(大阪砲兵工廠)を狙って爆弾を投下したとされる。近くの京橋駅も爆撃を受け、駅舎が吹き飛ばされた。数百人が犠牲になったと言われる。
空襲を生き延びた安本恒次良(つねじろう)さん(95)=大阪市=は亡くなった人の供養をしなければと、毎年慰霊祭に参列している。「戦争は美化したらいかん。戦争は悲惨なもんやということを覚いといて」と話した。
あの日、安本さんが疎開先の京都・福知山から自宅に戻ろうと京橋駅に着いた時、警報が鳴った。逃げ込んだ防空壕(ごう)が激しく揺れ、生き埋めを恐れて外へ。辺りは焼け野原になり、人びとが倒れていた。
それから80年。安本さんは慰霊祭へと歩く道中、砂場で駆け回る小さな子、手をつないで歩く親子、大きなスーツケースを引く外国人グループなどを見た。「平和ってええなあ」と繰り返しつぶやいた。