生涯を広島・尾道で過ごした江戸時代の女性画家、平田玉蘊(ぎょくおん)(本名・豊)が没してから今年で170年を迎える。「日本初の職業女性画家」と評される玉蘊とは一体どんな人物だったのか。
玉蘊は1787年に尾道の商家、福岡屋に生まれた。平田玉蘊顕彰会の奥田浩久会長(70)によると、幼少期から絵を描き、12歳ごろのものとされる作品も残る。才能に目覚めたきっかけは、木綿問屋を営みつつ画家としても活躍した父・新太郎の影響と言われる。
10代後半には画家として活動していたとみられるが、順風満帆ではなかった。20歳の時に父が病死すると一家は困窮。母・峯や5歳下の妹・庸を養うため、本格的に絵で生計を立てることになったという。
妹とともに「美人画家姉妹」と称された玉蘊。女性画家のさきがけだったが故に、絵とは関係の無い部分で世間からバッシングされることもあった。
実らなかった思想家との恋
初めて出会った20歳の頃の…