戦後の文学について語る丸谷才一さん=1986年撮影

記者コラム 「多事奏論」 編集委員・岡崎明子

 ストレスが原因の心の病「適応障害」と診断される人が急増している。2020年から算出方法が少し変わったとはいえ、総患者数は約19万人と、過去15年間で約9倍にも増えた。この間のうつ病患者数の増加が約2倍であることを考えると、驚くべき勢いだ。

 病の原因となるストレスは、欧米では夫婦関係や転居など家庭関連を挙げる人が多いそうだ。一方、日本では、職場の業務や人間関係など、仕事関連を挙げる人が多いというデータがある。

 個人的には、職場ではさまざまな感情を押し殺さなければならないことが一番のストレスとなっている。とくに、悔しい気持ちのコントロールは難しい。

 たとえばあまりにも理不尽なことを言われたとき。「耐えろ」と言い聞かせても、悔しさに負けて涙ぐんでしまうことがある。そして後で「面倒くさいやつと思われてしまった」と落ち込む。

 でも本当に、職場で泣くことはダメなのだろうか。

 もちろん相手をコントロールするための涙は禁じ手だ。一方で、悔しさ、悲しさといった感情の発露としての涙まで否定されるほど、職場は管理された場所であるべきなのかと問われれば、うまく答えられない。

 「職場で泣いたらダメ」という暗黙のルールは、「男は弱音を吐くな」という価値観や、「感情は理性に劣る」というマッチョな考えが組織に反映されているだけではないのか。私が職場で泣く行為をタブーだと考えているのも、こうした規範意識を内面化しているのだ。

 というのも、丸谷才一が1983年に著した「男泣きについての文学論」を読み、目からうろこが落ちる思いがしたからだ。丸谷は、昔の日本と高度経済成長期以降の日本の違いをこう記した。

 「男が泣かなくなつたし、泣くと笑はれるやうになつた」

 かつて日本では、男性が人前…

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