生体腎移植の手術を受け、入院していたころの村上穣医師=2011年2月26日、東京都、本人提供
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 総合病院で腎臓内科の副部長を務める44歳のドクターは、自身も腎臓の移植を受けたレシピエント(臓器の提供を受けた人)でもある。自身は運良く移植を受けることができた。しかし、胸の内に湧き上がったのは強い葛藤だった。希望していても移植を受けられていない患者がたくさんいる。そんな現状を変えたいと、患者としての経験を生かして研究を続けている。

 長野県佐久市の佐久総合病院に勤務する村上穣(みのる)さん(44)に、腎臓の病気が見つかったのは東京都で暮らしていた小学2年生の時だった。学校の定期健診で、尿にたんぱくや潜血が出ていることがわかった。

 精密検査で、尿が膀胱(ぼうこう)から腎臓へ逆流してしまう「逆流性腎症」という病気だとわかった。手術をしたが、すでに腎臓の機能は低下していた。

忘れられぬ主治医からの宣告

 それから生活が一変した。当時は安静が常識で、体育の授業は全て休んだ。家には自分が食べる低たんぱく米専用の小さな炊飯器が置かれ、学校では給食を食べるクラスメートの隣で、母が作った低たんぱく質の弁当を食べた。

 「外で走り回れないし、友だちと同じご飯を食べられない。それまでは当たり前だったことができなくなることが一番ショックでした」

 中学はみなが弁当を持参する私立校に進んだ。部活は釣り部。運動を控える姿を見ていた担任の先生が勧めてくれた。

 高校2年生のころ、「自分の病気のこともあったので何となく」医学の道を志すことにした。

 同じ時期、主治医から「あなたは将来、透析が必要になる」と言われた。「その言葉は、ショックで今でも忘れられないです」

恐怖を抱えながら医師の道へ

 医学生になると透析患者の現…

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