太平洋戦争についての話を聴く小学生たち=2025年8月1日、山形市、斎藤徹撮影

 戦後80年の今年、戦争について考えてみよう。山形県のこんな呼びかけに、県内の小学生が応え、戦争体験の伝承に努める団体の話に耳を傾けた。未来を担う子どもたちは、どんなことを感じたのだろうか。

  山形市の遊学館で1日、「戦争についてかんがえたことある?」というテーマのワークショップが開かれ、小学1~6年生とその保護者ら約40人が参加した。戦後80年にあわせ、県が小学生向けの戦争関連企画として初めて開いた。

 山形市遺族連合会の会長で、市内の学校などで戦争の語り部活動をする片山款郎(ただお)さん(75)が、1941年からの太平洋戦争を中心に話した。

 山形市の千歳地区では124人が戦死し、死亡年がわかるうちの約半数が戦争末期の45年に死亡した。劣勢を極めた戦闘でのほか、飢えや病気で亡くなった人も多かった。

 また、県内では飛行場があった東根や山形、真室川などで空襲があり、犠牲者も出た。

 片山さんの叔父は、16歳で亡くなったという。「二度と若者たちを戦場に送らないことが大人の務め。小学生の皆さんは、戦争がどんなものかを知り、学んだことを次の世代に伝えていってほしい」と呼びかけた。

 ワークショップでは、当時の日本政府が中国東北部を侵略し傀儡(かいらい)国家をつくった旧満州に、山形からは長野に次いで多い約1万7千人が移住したことが説明された。避難の途中で多くの人が殺害されたり残留孤児になったりして苦難を体験した。

 山形市の小学5年、立川木々(ここ)さん(10)は「食料や土地がほしいという欲望のまま、自分たちのことしか考えないと戦争が起きてしまうので、そうならないようにしたい。戦争を起こさないように努力することが大切なんだなと思いました」と話した。

 東根市の小学5年、高橋瑞季さん(10)は「戦争になると親が死んだり食べ物がなくなったりして、子どもは苦しい思いをするんだと知った。戦争は嫌だ」。父親の秀昌さん(47)は「戦争の実体験をした人が減っていく中で、戦争の話を聞けるのは貴重な機会。こうした積み重ねが平和につながると信じたい」と語った。

共有
Exit mobile version