1956年の水俣病公式確認から68年となった1日、熊本県水俣市内の各地で慰霊の催しが営まれた。患者や遺族をはじめ、多くの市民らが犠牲になった人々を悼み、今も続く被害に思いをはせた。
「私は野球の試合で、ここエコパーク水俣をよく訪れます。海の匂いや木々の香りがする自然豊かなこの場所が、水俣の地が大好きです」
熊本県水俣市などが主催する慰霊式は、水俣湾の水銀埋め立て地「エコパーク水俣」で行われた。小中学生、高校生を代表し、市立湯出小学校6年の野中隼一朗さんが、集まった約670人の参列者を前に祈りの言葉を読み上げた。
野中さんは、地域の人や患者らとの交流を通じ、水俣病について学んできた。なかでも心に残っているのは、語り部で胎児性患者の滝下昌文さんの話だという。
「自分のことを差別してきた人たちに対して、悔しい思いをしながらも立ち向かってきた生き方が、とてもかっこいいと思いました」
学校でも、節電やゴミの分別・減量といった環境保護活動や、差別や偏見をなくすための取り組みをしているといい、「水俣から環境保全と笑顔の輪を広げていく」と誓った。
式典には、伊藤信太郎環境相や、先月就任した木村敬知事、チッソの木庭竜一社長らも出席。謝罪と反省、誓いの言葉を述べた。
■環境大臣「70年の節目に向…