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安東量子さん

福島季評 安東量子さん

 今では日常ツールのひとつとなっているソーシャルメディアだが、その情報伝達ツールとしての有用性が注目されたのは、2011年の東日本大震災だった。発災直後のみならず、復旧期にも広く活用され、支援の呼びかけや現地情報の発信のほか、被災地内外の情報交換ツールにもなった。そのおかげで思いもよらぬ、新たな動きも起きた。

 かくいう私たちの活動もそのなかから生まれたものだ。そのため、原発事故から数年間は、非常にアクティブにTwitterを活用していた。とはいえ、当然のことながら、よいことばかりではなかった。現在社会で大きな問題になっている弊害も、早い時期から経験することになった。誤情報やデマの拡散はもちろんのこと、誹謗(ひぼう)中傷も当時から当たり前だった。だが、より深刻であったのは、「被災者」像が均一化・平板化されたことだったかもしれない。

 「被災者になる」というのは、奇妙な経験だ。自分の意思がまったく関与する余地のない外界の突然の環境変化によって、ある日を境に、社会のなかで「被災者」というカテゴリーに置かれる。被災しなかった友人・知人、あるいは、見知らぬ人からさえも、同情を向けられる。最初は困惑を覚えるが、しだいに被災者としての振る舞い方を覚えていく。ところが、災害の衝撃が薄まるにつれ、今度は、いつまでも「被災者」でいてはいけない、と自立を促され始めるのだ。社会が勝手に「被災者」と定義づけ、そう扱ったにもかかわらず、時間が経つと、その資格は剝奪(はくだつ)される。そうでなくとも、災害の物理的な被害によって生活の基盤が揺らぎ、アイデンティティーは混乱している。災害経験が、物理的な被害にとどまらず、被災者の内面に深い混乱を与えるのは、こうした社会的な処遇の変化も大きな要因だろう。

 従来は幸いなことに、こうし…

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