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村上正真さん(左)と曽祖母の大上富子さん=母の村上真実さん提供
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 家族や友だちと一緒に新聞記事を読み、感想や意見を書いて応募する第15回「いっしょに読もう!新聞コンクール」(日本新聞協会主催)の小学生部門で、広島市に住む安田学園安田小学校5年の村上正真(しょうま)さん(10)が最優秀賞に輝いた。選んだ記事は、今年8月7日付朝刊社会面に記者が書いたある被爆者の話だった。

 村上さんが選んだ記事は、「34万人の生きた証し 胸に 名簿への記帳 病室で続けた」。原爆死没者名簿に約10万人の名を毛筆で記してきた広島の被爆者、池亀和子さんが、がんを患いながらも記帳を続ける姿を描いた記事だ。池亀さんは掲載から9日後に82歳で亡くなった。

 《この記事を読んだとき、「自分の家族のことだ」と思った》

 受賞作でこう書いた村上さんの高祖父は1945年8月6日、広島市中心部の広島陸軍病院で被爆死したとみられ、曽祖父は村上さんが生まれる5年前に亡くなった。

 《原爆死没者名簿が35年間同じ方によって手書きされていることを初めて知った。きっとぼくの曽祖父の名前も、書いてくださったのだろう》

 村上さんは毎年8月6日に広島平和記念公園で原爆死没者慰霊碑と原爆供養塔にお参りする。いつも母の真実(まみ)さん(40)から、慰霊碑に高祖父と曽祖父の名前が入っていることを聞かされてきた。

 《一人一人の名前には、それぞれに人生があって、それぞれに家族がいるのだ、と気付いた》

 村上さんはお参りの後、高齢で外出しづらくなった曽祖母の大上富子さん(89)にいつも写真を見せて報告する。今回の記事について村上さんが話をすると、曽祖母はこう答えたという。

 《この方は、自分も苦しい思いをされとる。だけど、平和を願う心が強いから、大変なお役目も果たせるんだろうね》

 受賞作は、このように締めくくられている。

 《被爆者の家族として、ぼくにしかできないこともあるのではないかと思い始めた。それは、曽祖母のような被爆者の方から話を聞いて、次の世代へつないでいくことだ。そして、将来自分の子孫が、戦争のない世界を生きられるように、ぼくも今学んで、教えてあげられる人間になりたいと思う》

 コンクールには47都道府県から6万1576編の応募(小学生は4707編)があり、小中高の各部門で最優秀賞を受賞した3人が12月14日、横浜市のニュースパーク(日本新聞博物館)で表彰された。授賞理由では「原爆投下という悲惨な歴史を自分事として捉え、曽祖母との対話をきっかけに、被爆者の声を未来に引き継いでいく決意を表明した点が高く評価された」とされている。

     ◇

 村上さんは母と一緒に横浜市での表彰式に参加した。式では賞状や盾を受け取った後、この記事を書いた私と壇上でトークもこなした。帰宅すると、大好きな曽祖母の部屋で、表彰式のことを報告したという。「ひいおばあちゃんは『よかったね』とハグしてくれた。とてもうれしかった」

 私には、村上さんが被爆体験の継承を現在進行形で体現してくれているように思えた。

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