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インタビューで話す萩本欽一さん=2025年3月12日、東京都世田谷区、吉本美奈子撮影
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 嫌だった。最悪だよ――。コメディアンの萩本欽一さん(83)は、テレビ界の頂点を極め、「視聴率100%男」との異名がついたときのことを、そう振り返る。「もう、やめたい」とも思った。「24時間テレビ」でついた「いい人」イメージにも苦しんできた。名声、栄光、お金……。華やかな世界を歩きぬけ、たどり着いたのは「普通」という境地だった。

1925年3月25日にラジオ放送が始まり、ことしで「放送100年」。萩本欽一さんへのインタビューの後編です。

  • 前編はこちらです

 《1975年に放送開始した「欽ちゃんのドンとやってみよう!」(フジテレビ系)は、土曜の夜の枠で、裏番組は「8時だョ!全員集合」(69年=開始年、以下同、TBS系)だった》

 「欽ちゃんのドンとやってみよう!」は、ニッポン放送のラジオ番組としてやってたんだけど、テレビでやることになってね。ドリフ(ザ・ドリフターズ)とは仲良しで、「敵」だとは思わなかった。でも、当たってる番組の裏をやってくれっていうのがテレビ局だからね。

 視聴率は、あんまり気にしないようにしてた。視聴率のことを、欽ちゃんに言うのはタブーだったんです。「数字を言ったら追放する」なんて言ってたから、みんな数字を言わない。ただ、20%を超えたときだけは教えてくれとは言っていました。

 もともと、劇場で一番奥にいる客を笑わせたいと思ってやっていた。有名になりたいなんて思わなかったし、漫才の大会とかは断っていた。「良い」って言ってくれる人に、3人出会えれば十分だっていう意識だった。

 《だが、〝欽ちゃん〟はどんどん「国民的な存在」になっていく。1980年代前半には、テレビ朝日系「欽ちゃんのどこまでやるの!」(76年)、フジテレビ系「欽ドン!良い子悪い子普通の子」(81年)、TBS系「欽ちゃんの週刊欽曜日」(82年)の三つの冠番組を抱え、視聴率はいずれも30%超を記録した。出演する番組の視聴率の合計から「視聴率100%男」の異名がついた》

頂上があると気づかないで登ってるから、人生は面白い

 「視聴率100%男」なんて言われたのは最悪だったね。ある時「お前は100%男だな」って言われたんだよ。それを聞いた瞬間に「もう、やめようかな」って思ったんだよね。

 「100%男」って何だろう…

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