樺太からの脱出に使われた羅針盤=2025年8月10日、札幌市中央区、新谷千布美撮影

 闇夜の海で頼りとなったのは羅針盤だけ――。くすんだ黄金色の器の中。英字の「S」「N」や十二支の「子」「午(うま)」が方角を示す。

 80年前の夏、ソ連軍侵攻で南樺太(サハリン南部)から北海道へ脱出した際の貴重な資料が、札幌の北海道庁旧本庁舎「赤れんが庁舎」の樺太関係資料室で展示されている。7月25日にリニューアルオープンした。

 1945年8月9日から、南樺太にソ連軍が侵攻。戦闘や空襲は15日以降も続いた。23日以降は海峡が封鎖され、北海道に渡ることが困難になった。日本軍の武装解除が完了したのは9月5日だった。

 この間、約5千人が犠牲になったとされる。通貨は円からルーブル、行政言語もロシア語に。日本人が本土に引き揚げられるようになるのは翌46年12月からだった。

 資料室では、羅針盤のほか、樺太の歴史や生活、引き揚げの実態を示す約180点の展示品と47枚の解説パネルも展示される。

 改修によって、先住民族や朝鮮人が直面した状況を加えた。今年は証言映像も上映する。担当者は「『樺太』自体知らない人も増えている。まずは触れてほしい」。

 午前8時45分から午後9時まで(11月16日と年末年始休館)。入館料は一般300円。問い合わせは電話(011・206・8390)へ。

 「夜明かりを消して、(船を)ポンポンポンポンって」

 樺太生まれの駒板芳夫さん(92)は、ソ連の攻撃で混乱する樺太から北海道へと脱出した。正規の避難船は人であふれ、母の知り合いの漁船に乗った。降りたのは稚内。「小樽へ向かった船は攻撃され、沈没した」

 駒板さんら引き揚げ者でつくる「全国樺太連盟」釧路支部が8月、解散式を開いた。連盟は1948年に設立、2004年の赤れんが庁舎の「樺太関係資料館」開設も担った。しかし高齢化で21年に事実上解散。コロナ禍もあり、24支部のほとんどが自然消滅した。

 釧路では「けじめ」として解散式をしたいと、連盟の理事だった岩崎守男さん(88)、渡部徳史さん(81)、駒板さんの3人で企画。会員ではない女性2人も地元紙の報道を見て参加した。2人は「終戦の日」から1年以上たった46年12月以降の引き揚げで樺太を離れた。

 当時5歳だった芹田サダ子さん(85)は、ソ連侵攻直後の光景が忘れられないと言う。「家の前の大通りに空からタタタタタと機銃掃射され、必ず殺されると思った」

 家族11人は馬車で親戚の家…

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