演奏しながら街中を練り歩き、商業広告の役目を果たすチンドン。あの音楽ってユニークですよね~という話を職場でした時、「あれって音楽と言っていいの?」という流れになった。

 「ブラスバンドといった『西洋音楽』の流れもあって、『純粋』に音楽としても聴けますよ……」などと、私はムキになって反論したのだが、言い終えた後に、妙な後味の悪さを感じた。というのも、クラシックを始めとした西洋音楽を無意識に上位に置き、それとの比較で論じようとした気がしたからだ。

 ……みたいな話を、後日、音楽学者の渡辺裕・東京大名誉教授に話したところ、こんな言葉をかけられた。

 「私たちは、『西洋的な目』で、知らず知らずのうちに物事を見ているんですよ」

 音楽一つとっても、私たちは一面的にこの世界を見ているのかもしれない。私は考えこんでしまった。(聞き手・河村能宏)

     ◇

 ――チンドンの話、どう思いますか。聴衆がいるのかどうかわからない街中で、宣伝のために音楽を鳴らす……そんなあいまいなものを「音楽」と認めていいのか、という感じの指摘だったのですが……

 「静まり返ったコンサートホールで演奏家が紡ぐ音に耳を傾けるのが音楽の本来の姿である、という考えが会話の根底にあるような気がします。音楽は芸術であり、私たちはその芸術に宿る美を純粋に味わうべきだ、と。そういう見方から、チンドンを一段低くみているのかもしれませんが、西洋の近代的価値観から見た一面的な見方だなと思います」

 「私たちの感性自体が歴史的に形作られていて、特に西洋の近代思想の影響を強く受けています。私たちは『芸術としての音楽』という価値基準を暗黙のうちに採用した上で、音楽という文化を考えたり、語ったりしがちなのです」

演奏しながら街を練り歩くチンドン屋

 ――音楽にしろ、映画にしろ、ドラマにしろ、芸術性が高ければ、価値があるものだというふうに確かに思ってしまいます

 「しかしその西洋でも、18世紀くらいまでは、音楽といえば『ターフェルムジーク』、つまり食卓の音楽と呼ばれるような、貴族の祝宴を盛り上げるBGM的なものが典型でしたし、演奏会で厳粛に耳を傾けるというまじめな聴取の態度も一般的ではなかった」

 「近代になるとこうした音楽のあり方は『低俗』だとみなされていきます。近代哲学の祖カントが三大批判書の一つ『判断力批判』で『美』の自律性を論じるようになりましたが、近代以降、音楽の価値のありかも芸術であることに求められるようになり、『美』を純粋に追い求めることにこそその本領がある、という見方が台頭してくるのです」

 ――芸術性を重視する態度は、普遍的なものでは決してなく、近代西洋の産物である、と

 「音楽を、政治的な意味や社会的な機能みたいな『文脈』から切り離し、作品そのものに宿る『美』を純粋に味わうべきだ、という美の自律性の考え方が、近代的な思想史の中で確立されていきました。『芸術』『作品』『天才』『独創性』という概念も軒並み18~19世紀ごろに誕生していくわけです」

 「『これは作品として価値がある。だから、純粋に鑑賞しよう』。こうした思考は、近代以降、音楽に限らず、芸術一般で生まれてきました。例えば絵画や彫刻などは、かつては所有者の権力を誇示するために宝物庫みたいなところに集められていましたが、近代になると、『ホワイトキューブ』と呼ばれるような白い壁の展示室に配置して純粋に鑑賞するもの、という考え方へと移行し、美術館が作られるようになります」

 「音楽の場合のコンサートホールのあり方も同様に、『美の自律』『純粋化』というのが、西洋的な芸術観の根本になってゆくなかで形作られてきたのです。それはまた、貴族の独占物であった絵画や音楽を市民に開放してゆく動きとも軌を一にしていました」

カントの「判断力批判㊤㊦」(岩波文庫)

 ――その思想が、私たちの中にも根付き、チンドンの会話の中にもにじみ出てくるわけですね

 「私たちは、そんな西洋の近代的な価値観がたっぷりと刷り込まれた感性、つまり『西洋的な目』で、知らず知らずのうちに物事を見ているんです」

 「今でこそ『文化の多様性』がお題目として掲げられ、それぞれの文化に価値があるなどということが一般論としては語られるのですが、いざその価値について語る段になると西洋流の『芸術』や『音楽』という概念が前面に躍り出てきて、そういう価値基準に絡め取られてしまうようなことになってしまうわけです。多様性ということがいくらお題目として語られていても、具体的な局面で働く感性や価値観自体が西洋化されているとどうにもならないわけで」

 「あと、さきほど『純粋化』と言いましたが、文化というものは、そもそも政治的、経済的、社会的な文脈から切り離せることなんてできないわけですよね。でも、日本でもいまだに切り離せるという見方は根強い。ほら、日本でも数年前に、フジロックを舞台に論争がありましたが、あれなんかがわかりやすいですね」

フジロックフェスティバル

 ――「音楽に政治を持ち込むな」論争ですね。2016年に安保法案に反対していた学生グループ「SEALDs」メンバーがフジロックフェスティバルのトークイベントに出る、と主催者が発表した途端、SNS上で渦巻いた主張でした

 「『持ち込むな』という主張…

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