国内外の数々の文化財修理を手がけ、7月29日に膵(すい)がんで亡くなった石工(いしく)の左野勝司さん。その81年の生涯をたどる。
半世紀以上、ハンマーを握り続けた分厚い右手。ノミで石をたたけば、音で瞬時に状態を聞き分けた。その技術と発想力で、奈良の高松塚古墳やイースター島のモアイ像など、幾多もの文化財を救った希代の石工だった。
戦時中に和歌山で生まれた。中学卒業後に父と同じ石工になったが、見下げられた仕事と感じ、嫌になった。
転機は19歳。給料をためて旅に出た欧州やインドで、数々の石の文化財に魅せられ、素晴らしさを再認識した。帰国後、寺社の文化財の仕事にも携わるように。1988年の奈良・藤ノ木古墳の発掘調査では、未盗掘の石棺のふたを開ける作業も手がけた。
研究者の指示通りに作業をす…