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男木島は周囲5キロの小さな島。斜面に住宅が重なり合うように並ぶ=2024年11月25日、高松市の男木島、河野正樹撮影

 休校していた唯一の小学校が6年ぶりに再開した離島がある。実はこの島、多くの地域と同様に少子高齢化が進み、無人島になる心配さえあった。昔から海上交通が交わる場として開放的だった島は移住者が4割を占めるようになり、「復活の島」「奇跡の島」と呼ばれている。

 瀬戸内海に浮かぶ男木島(高松市)。商業施設が集まる高松港(高松市)からフェリーで40分、8キロ沖にある。

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狭い路地がのび、石垣が幾つもある島内。車が走る場所はほとんどない=2024年11月25日、高松市の男木島、河野正樹撮影

 周囲5キロのおにぎり形の島で、木造住宅が斜面に密集して並ぶ。開発を逃れ、迷路のように路地がのび、石垣が残る。ここに約150人が住む。

 灯台を守る夫婦を描いた1957年公開の映画「喜びも悲しみも幾歳月」の舞台にもなった。サワラ漁や麦作で生計を立て、当時は1千人が住んでいた。ところが、次第に働き場を求めて若者が去った。お年寄りも病気やけがをすると、島外の病院や島を離れた子どもたちの家に身を寄せるために離れていく。島は衰退の一途だった。

瀬戸内国際芸術祭で知った故郷の衰退

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港にある高松市男木交流館。建物そのものが、スペインの現代美術家ジャウメ・プレンサの「男木島の魂」という作品。フェリーの乗船券が売られている=2024年11月25日、高松市の男木島、河野正樹撮影

 転機は2010年、人口約200人に減ったこの島が瀬戸内国際芸術祭(瀬戸芸)の舞台の一つとなったことだ。

 白い貝のような港の高松市男木交流館は、建物そのものがスペインの現代美術家による芸術作品だ。島の素朴さと作品が織りなす風景が注目され、いまも国内外から観光客が訪れる。

 島出身で大阪でIT関連会社を営む福井大和さん(47)は、13年の瀬戸芸の時に仕事で島を訪ねた。子どもは消え、学校は展示場になっていた。当時35歳。「老後は島で」と思っていたが、「あと10年で消滅する」と危機感を覚えた。

 島を気に入った妻と小学生だった娘と帰郷を決意した。学校の再開を申し出たが、校舎は老朽化し、市教育委員会の反応は芳しくない。帰郷を希望する他の家族や島内外から881筆の署名を集めて働きかけた。

「乗っ取る気か」と批判されても

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再開されて新校舎になった高松市立男木小・中学校。運動会には多くの島民も参加した=2023年5月27日午後、高松市の男木島、張春穎撮影

 すると、市も動いた。14年に仮設校舎で小中学校が再開され、福井さんらUターン移住した3家族の子ども6人が通うことに。16年には鉄骨2階建ての新校舎も誕生した。のり面の改修なども含めて総事業費は7億1千万円になる。

 ただ、島で様々な活動を始めると、批判も耳にした。

 「島を乗っ取る気か」

 「数人のために何億円も使って。また休校になるんだろう」

 でも、それがまた心に火をつけた。島での生活を存続させるため、地域活動に力を入れていく。

ニューヨークや渋谷からも移住先に

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男木島の獅子舞。伝統的に男の子2人が踊ったが、女の子(中央)も踊れることになった。Uターン移住者の福井大和さんが提案した=高松市の男木島、島民提供

 夏祭りの担当になって早速…

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