兵庫県西宮市の阪神甲子園球場は8月1日、開場から100年を迎える。甲子園をつくったのは、阪神電気鉄道(大阪市)の代表取締役だった三崎省三(みさきせいぞう)(1867~1929)。東洋一といわれた球場の建設に踏み切った経緯が、三崎が残した日記や手帳から徐々に明らかになっている。
三崎の遺品は、武庫川女子大(西宮市)名誉教授の丸山健夫さん(68)が三崎家から預かり、分析している。英語でつけていた日記や手帳、高校時代のサイン帳などが残されている。
三崎は兵庫県黒井村(現・丹波市)出身。19歳で単身渡米し、アルバイトをしながら高校に通い、パデュー大で電気工学を学んだ。
渡米中に出会った「野球」
三崎が野球に出会ったのはそんな高校時代。当時の日本には、野球が知れ渡っていなかった。三崎のサイン帳には野球をする仲間の姿が描かれ、丸山さんは「野球の楽しさを体感していることが伝わってくる」という。
帰国後、各地で電気鉄道の設計などをしていたが、阪神電鉄の初代社長に声をかけられて入社した。
表紙に1908年と書かれた…