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プライドパレードで行進する人たち=2025年6月29日午前11時27分、サンフランシスコ、奈良部健撮影

 虹色の衣装をまとって踊る人や沿道で歓声を上げる人、全裸で歩いている人もいる。街が祭りにのみ込まれたようだった。

 同性が恋愛対象だったり、生まれた時に決められた性別と性自認が異なったりしても、誰もが自分らしさに「誇り」を持てるように。そんな思いで歩く「プライドパレード」が、6月最後の週末、米国各地で開かれた。

 私が住む米西部サンフランシスコは、「ゲイの首都」や「LGBTQ(性的少数者)の聖地」ともいわれる。多様性を象徴する旗「レインボーフラッグ」は、ここで生まれた。

 なぜ、この街は聖地となったのか。私は、ある活動家の足跡をたどる取材を始めた。

 パレードの終着点はサンフランシスコ市庁舎。自身がゲイだと公表していた米国最初期の政治家が、権利獲得のために市議として闘ったのがこの市庁舎だった。そして47年前、この場所で暗殺された。

 ハーベイ・ミルク。海軍に入ったが、当時、同性愛は「精神疾患」とみなされていて、上官が彼の同性愛を知ったことで除隊したとされる。ニューヨークで数学教師やウォール街の証券アナリストなどをした後に、サンフランシスコに来た。

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ゲイのリーダー、ハーベイ・ミルクのポスターを掲げる人=2025年6月29日午前11時47分、サンフランシスコ、奈良部健撮影

 1978年、カリフォルニア州の公立学校で働く同性愛者の教員や職員を解雇できるようにする法案が議論された時、ミルクらは行進して反対を訴えた。これがプライドパレードの前身だった。ミルクは同性愛者たちの誇りとなる象徴をつくってほしいと言い、その結果できたのがレインボーフラッグだった。

何度も語った「自分をさらけ出しなさい」

 「彼はたくさんの脅迫を受け、自分が殺されるだろうと予言してもいました。それでも恐れず、人の前に立ち続けた」。ミルクとともに同性愛者の権利獲得のために闘ったクリーブ・ジョーンズさん(70)は言う。

 ミルクは、ジョーンズさんや仲間に「自分自身をさらけ出しなさい。カミングアウトしなさい」と何度も語っていたという。当時、同性愛者は、周囲にばれて失職したり拘束されたりすることを恐れていた。

 「自分の隣人や学校、職場で一緒にいる人が同性愛者だと知れば、彼らはもう恐れない。自分が誰であるか、正直に伝えなさい。それが法の下で自由と平等を勝ち取る方法だから」と。

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ハーベイ・ミルクと共にゲイの権利獲得のために運動を続けてきたクリーブ・ジョーンズ氏。ミルクの死後、エイズ患者への差別や偏見と闘ってきた=2025年6月20日午後2時3分、サンフランシスコ、奈良部健撮影

 ミルクの名は、サンフランシスコ国際空港のターミナルにいまも残る。2008年の伝記映画「ミルク」では、その生涯が描かれた。

 生きていたら、いまの米国社会をどうみただろう。

 ジョーンズさんに尋ねると…

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