Smiley face
リニューアルオープンしたタミヤの発信拠点「TAMIYA PLAMODEL FACTORY TOKYO」で笑顔を見せる松井康真さん=2024年5月23日、東京都港区、小松隆次郎撮影

 テレビ朝日でアナウンサーや報道記者として活躍した松井康真さん(61)が3月、模型大手・タミヤの「模型史研究顧問」に就任した。半世紀以上にもわたって愛し続けるプラモデルへの思いや今後の夢を語った。

公式ガイドに解説「タミヤ現役社員より詳しい」

――テレビ朝日を退職し、タミヤの「模型史研究顧問」に就任した経緯は。

 昨年3月で定年でした。災害報道の担当記者として定年延長する選択肢があり、慰留されました。ただ、地元・富山県南砺市井波(旧・井波町)の活性化やフリーアナウンサーとしての仕事など、やりたいことがたくさんあり退職を決めました。

 やりたいことの一つが、タミヤでの仕事でした。テレ朝時代からタミヤには協力をしていました。1950年代からの木製模型やプラモなどはタミヤ社内にも残っていないものが多く、四半世紀ほど前から、そういった「お宝キット」を折にふれ、寄贈してきました。公式ガイドブックに解説も執筆しました。

 そうした長年の付き合いがあるなかで、かねて田宮俊作会長から「定年退職したら手伝って」と依頼されていました。静岡の本社には一般の人も入れる「歴史館」がありますが、この10年ほどはほとんどアップデートされていないんです。「世界のタミヤの歴史が、このままでは散逸してしまう」と危機感がありました。まずは、ここのリニューアルから始めます。

 プラモだけではなく、チラシやポスター、少年誌や専門誌に掲載された広告も収集しています。古書店で買ったり、ネットオークションで落札したりしています。自作エクセル表に個々に管理しているので、そのモデルの発売時期もわかるようにしています。タミヤの歴史は、タミヤの現役社員よりも詳しいと思います。

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松井康真さんが収集しているプラモデル広告=2024年5月21日、東京都世田谷区、小松隆次郎撮影

「子どもだましじゃない」プラモに夢中

――どんなきっかけでプラモを好きになったのか。

 小学生時代、親戚のおじさんに買ってもらってからです。「これはおもちゃじゃない、子どもだましじゃない」と夢中になりました。説明書にはぎっしりと、そのモデルの由来が書かれているので、歴史も学べました。実物を調べて、再現されていない部分を改造や塗装で補いました。

 中学生で吹奏楽部に入り、いったんプラモづくりを卒業しました。ただ、2カ月に1回発行される広報誌「タミヤニュース」はずっと購読していました。中学生、高校生時代は作るというよりもコレクターとして集めていました。ただ、情報もお金もないので、本格化したのは社会人になってからです。

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自宅で製作した作品を持つ松井康真さん=2024年5月21日、東京都世田谷区、小松隆次郎撮影

「Mステ」タモリさんの初代アシスタントに

――アナウンサーとして忙しかったのでは。

 入社2年目でミュージックス…

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