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巨人監督時代の長嶋茂雄さん(右)。2000年の日本シリーズで王貞治さんが指揮を執るダイエーと対決した
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 3日、89歳で死去した「ミスタープロ野球」長嶋茂雄さんと、「世界のホームラン王」王貞治さん(85)。2人はその頭文字から「ON砲」と呼ばれ、ファンを引きつけた。

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 王さんはこの日、東京都内の長嶋さん宅を弔問のため訪れた。「亡くなられたことは残念ですけど、長嶋さんの顔を見て、昔と変わらず、ほっとした。誰でも来る日なんですけど、一番来てほしくない人に来ちゃった」。その後の記者会見で、視線を下に落とした。

 立教大のスター選手だった長嶋さんは1958年、巨人に入団。翌年、東京・早稲田実高から5学年下の王さんが加わった。王さんは「入った時から長嶋さんは特別な存在でした」と振り返る。

 初めてのキャンプでは、宿舎が同室だった。王さんは「(自分が)寝相は悪いわ、いびきはかくわで、1週間か10日ですぐ部屋替えをさせられましたから」。柔和な表情で述懐した。

 2人が同じ試合でアーチをかける「アベック本塁打」は106回を数えた。初めて達成したのが、昭和天皇がプロ野球を初観戦した59年6月25日の天覧試合。新人の王さんが七回にアーチをかけると、長嶋さんがこの試合2本目となる本塁打を放ち、サヨナラ勝ちした。

 巨人でともにプレーしたのは計16シーズン。盟友であり、永遠のライバルでもあった。「ONにはあうんの呼吸がある。(人には見えない)テーブルの下ではいろいろあっても、人前ではあれこれ言うことはないんだ」。2人の世界を、王さんがこう表現したこともある。

 ともに監督として、2000年の日本シリーズで初めて実現した「ON決戦」。巨人監督の長嶋さんは4勝2敗で制すると、「監督の指導力がすみずみまで行き渡っていた」と、ダイエー(現ソフトバンク)を率いていた王さんをたたえた。

 王さんはこの日の会見で、長嶋さんにどんな言葉をかけたいか、と問われると、「ありがとうございました、という言葉ですべてを表せると思います。それくらい大きな存在でした」。記録にも記憶にも残るプロ野球史上最高の名コンビだった。

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