第2次世界大戦中の空襲による民間人被害者たちが求めている救済立法が、足踏み状態にある。なぜ、法律制定に至らないのか。問題の「そもそも」とは。
Q 戦後補償とは。
A 戦争中に受けた被害を埋め合わせる償いのことだ。日本は敗戦後、サンフランシスコ講和条約を結び、連合国に対する請求権を放棄。日本国民は空襲や原爆など戦争被害の補償を連合国に請求できなくなった。国が起こした戦争だから民間人の被害も国が補償すべきだ、との考えから日本政府に対する裁判も起こされたが、多くの訴訟で原告が敗訴している。
Q 補償を阻む壁とは。
A 多くの判決が「戦争被害受忍(じゅにん)論」を理由に請求を退けてきた。「国の存亡にかかわる非常事態にあって、戦争の犠牲や損害は国民が等しく受忍しなければならない。これに対する補償は憲法が全く予想していない」との論理で、つまり「戦争という非常事態だからみな我慢しなさい」というものだ。
Q 日本政府は戦後補償をひとしく認めなかったのか。
A 実は、例外がいくつもある。軍人・軍属やその遺族には、講和条約発効(1952年)の直後に恩給や遺族年金が復活。これまで総額60兆円以上が給付されてきた。民間人でも、軍需工場の従業員や原爆被爆者らには救済する仕組みがある。だが、空襲や沖縄戦などでの民間人被害者で、補償を長年求めながら認められていない例が多い。
Q 不公平なのでは。
A 東京大空襲の民間被害者が国を提訴した訴訟では、2012年に東京高裁が原告敗訴の判決を出しつつ、「原告らが旧軍人軍属との間に不公平を感じ、一般戦争被害者にも救済や援護を与えるのが国の責務とする主張は理解できる」と指摘した。1980年代以降の判決では「受忍論」だけでなく、補償のための立法は国会の裁量で判断すべきだとする「立法裁量論」にも言及するようになっている。
Q 国会の対応は。
A 空襲被害の裁判原告らが2010年に「全国空襲被害者連絡協議会」(全国空襲連)を結成し、立法運動に取り組んだ。翌11年に超党派の国会議員連盟(空襲議連)も結成され、20年に法案の要綱をつくり、野党は賛成でまとまった。だが政府や与党の腰は重い。空襲被害者への救済法成立が、他の戦後補償問題に波及することへの警戒感が根強いとみられる。