504人の命を奪った能登半島地震から、元日の午後4時10分で1年になります。新春を祝う特別な日に、大切な人を奪われ、かけがえのない暮らしを傷つけられた能登。年末年始を迎える人々の姿や風景を詳報します。
■■■2025年1月1日の動き■■■
07:50
見附島から雲間に初日の出
元日の朝を迎えた。地震で一部崩落した石川県珠洲市の見附島の向こうから、雲間に初日の出がのぞいた。
昨春、同市の飯田高校を卒業した大学生ら4人が日の出に見入っていた。高校卒業後、パティシエになるため愛知県の専門学校に通う谷口遥さん(19)は、「昨年は人に助けられた1年だった。将来は地元にお店を開いて甘いお菓子をたくさんの人に食べてもらえればいいな」と話した。岡山県の大学に通う鹿野栞莉さん(19)は、「昨年は不安の尽きない年だった。今年はいい1年になれば」と話していた。
0:00
「1・1」灯籠 仮設住宅前で黙禱
石川県輪島市町野町の仮設住宅の前で、犠牲者を悼む紙の灯籠(とうろう)約1千個に住民らが火をともした。地震が起きた1月1日を迎え、集まった約20人が黙禱(もくとう)を捧げた。
「1.1 NOTO」の形に並んだ紙灯籠を前に、近くの仮設住宅に住む会社員の高野雅史さん(46)は「家族も無事でありがたいと思う一方、亡くなった方のことを思うと、自分だけ生き残ってしまって申し訳ない気持ちもある」と語った。亡くなった方々に「町の復興は心配しないで。心安らかになってほしい」と祈ったという。
住民らでつくる町野復興プロジェクト実行委員会が主催し、2月から毎月1日に火をともしてきた。使うのは、1995年の阪神・淡路大震災を受けて神戸市のNPO法人がともし続けている「1・17希望の灯(あか)り」から分灯したものだ。山下祐介委員長(38)は「(2024年は)自然の猛威を見せつけられた1年だった。毎月のイベントで、亡くなった方々に思いをはせる貴重な時間になったのではないかと思う」と話した。
■■■2024年12月31日の動き■■■
23:00
除夜の鐘 家族だけでも
石川県珠洲市三崎町寺家にある真宗大谷派の専念寺では、21代目の畠山義邦住職(75)らが除夜の鐘をついた。
例年は鐘の音が聞こえると地域の人が集まって一緒についたが、今年は家族だけ。一帯は津波の被害に遭い、住む人もほとんどいない。この1年は本堂が解体され更地になるなど、悲しみで涙を流すことが増えた。一方で、鐘をつくことを報道で知った人から「元気を出してください」と丸餅が届くことも。
畠山住職は「いろんな人に助けていただいた1年だった。人間ってすばらしいなと思うと同時に、私は人の身になって生きてこられたのだろうかと考えた」と話した。「なるようにしかならない。来年は元気に過ごしたい」
19:20
紅白「楽しみ」
第75回NHK紅白歌合戦が始まった。輪島市門前町浦上の山崎進さん(76)は仮設住宅で、妻と2人で見入った。能登をテーマにした2曲が予定されており、「能登に注目してくれてありがたいし、楽しみだね」と話す。
春まで避難所暮らし。9月に能登北部を襲った豪雨でも公民館に3日間身を寄せ、落ちつかない1年だった。長男一家6人と同居していた自宅を少しずつ補修し、元日だけは家族8人で自宅で過ごす。「千年に一度の地震と百年に一度の豪雨。誰にも経験できないことを経験できたと思うしかないが、早く自宅に戻って遅れた分を取り戻したい」
紅白歌合戦では、後半に坂本冬美さんが輪島市からの中継で「能登はいらんかいね」を歌唱し、終盤に登場する石川さゆりさんは「能登半島」を披露する。
18:00
空港の仮設宿泊所 ひっそりと
石川県輪島市の能登空港敷地内にある仮設宿泊所は、ひっそりとしていた。主な利用者は県庁や県外から応援に入る自治体職員で、年末年始は帰省しているという。明かりのともる部屋はほとんどなかった。
コンテナハウス型など346人分288室を備え、支援者向けに3月に設置。奥能登はもともと宿泊施設が少ない上に、被災によって休業する施設も多く、宿不足が課題となっていた。
支配人の宮口元木さん(46)は「あっという間の1年だった。みなさんが元の生活に戻り、早くこの施設がなくなることが理想。そのために活動してくれる支援者の方々に、少しでも快適に過ごしていただけるよう、来年も努めたい」と話した。
■輪島のスーパー 帰省客らで…