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写真・図版
誰もが手にするものになったスマートフォン=辻本達也さん提供

自分のなかにある先入観をくつがえそうとする実践を「考近学」と名付け、身の回りにあるものに目を向けるフィールドワークを続ける「neoコーキョー」発行人の辻本達也さん。30人の異なる職業の人に「スマートフォンのホーム画面」を見せてもらったことで、先入観がくつがえされた体験をつづってもらいます。

  • 【辻本達也さん寄稿】僕は考近学フィールドワーカー

 僕は平成元年(1989年)生まれだ。そんな僕が初めて携帯電話を手にしたのは2004年、中学生のときだった。駅前にある小さな携帯電話ショップへ行き、そこで幾つもある外観デザインのなかから、折りたためるタイプの黒い携帯電話を選んだのを覚えている。いわゆる「ガラケー」だ。

 数年後、大学2年生になった僕は、「iPhone 3GS」を購入した。それまでは、厚みのある物体として存在するボタンで操作していた携帯電話が、直接指で画面に触れて操作されるようになっていた。スマートフォン(スマホ)の登場だ。

 そしてスマホは誰もが手にするものになった。駅やカフェ、会社や学校、自宅や公園でも――。スマホを使っている人がいない空間はないと言ってもいいほどだ。

 他者がスマホを使っているところを頻繁に目にするようになった。しかし僕は目の前のひとのスマホのホーム画面をしっかりと見たことがないことに気づいた。

 それは、僕が出版事業を始めてほどないころ、スマホのアプリを整理していたときだった。これから仕事をスムーズにやっていくには、親指で押しやすい位置に事業関連のアプリを集めておいたほうがいいんじゃないかと思いたったのだった。

 スマホのホーム画面上でライティングアプリや画像編集アプリの位置を整理していて、「そういえば、みんなはどうやって並べているのかな」「誰のホーム画面も見たことないな」と気づいたのだった。

 身近にあるのに見たことがない。

 まさに考近学の対象だと感じた僕は、知り合いに次々と「スマホのホーム画面を見せてくれないか」と連絡した。

 この企画に僕は「アプリの地理学」という名前をつけた。この名前についてすこし解説したい。

 これまで僕は、身の回りの多くのことを「地理」になぞらえて捉えてきた。

 太古の時代、水道がなかったころ、人は水が飲めるから川の周囲に集まった。安心して暮らすために平らな土地に屋根を建て、果実や獣がとれる場所があればそこに出向いて帰ってきた。そのようにして、人は地理的な状況に影響を受けてきた生き物である。

 同じように現代の生活では、爪切りが手に取りにくい位置に置かれていたら爪を切る頻度は減るだろう。靴べらが取りにくいところにあれば靴のかかとが潰れる可能性は高まるだろう。そんなふうにして、ものや空間へのアクセスのしやすさ・しにくさ、つまりレイアウトは、ときには意思以上に、人の行動を決めてしまうものだと思う。

 じゃあ手のひらのなかのアプリだとどうなんだろう。そのような好奇心から始まった企画ゆえに、「アプリの地理学」なのだ。

■アプリは整理するものなのか?

 西洋占星術を専門に研究して…

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