地下鉄に乗って通勤する長尾幹也さん(当時40)=1997年撮影
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 朝日歌壇に半世紀近く投稿を続けた大阪府和泉市の長尾幹也さんが1月末、66歳で亡くなった。それから2カ月余、長尾さんの歌を長年愛読してきた読者から、追悼の歌や言葉が途切れることなく寄せられている。勤め人のつらさや闘病の日々を詠んだ歌への共感、それがもう読めない寂しさ……。その数は60通を超えた。

 「生きるとは」歌で示しし長尾氏の辞世となりぬ視線入力

 4月7日付の朝日歌壇に掲載された埼玉県蓮田市の斎藤哲哉さん(89)による一首。長尾さんの最後の歌となった、1月7日付掲載のこの歌を踏まえて詠んだものだ。

 妻は泣きわれは視線に文字を打つ午後の病室蝶も鳩も来ず

 長尾さんは62歳の時に多系統萎縮症と診断された。手足の動きの調節や平衡感覚などをつかさどる小脳を病み、歩行機能などが低下していく難病で、近年は闘病が主なテーマとなった。約30年間、読者として長尾さんの歌を読み続けてきた斎藤さんは「難病を患いながらも歌から離れなかった。長尾さんの生きる力、歌の力はすごいものだとつくづく思った」と話す。

 悲しみとともに開かむ彼の歌載ることのなき日曜の紙面

 同じく7日付朝日歌壇に追悼歌が掲載された同県朝霞市の岩部博道さん(56)は「病や死と向き合いながら、ユーモアや静謐(せいひつ)な心境を感じさせる歌を詠んでいることに感嘆していた」と振り返る。記憶に残る長尾さんの歌として挙げたのは次の2首だ。

 椅子もろともリフトに吊られ…

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